コラム

(11)The Kareem Abdul-Jabbar Auction, not because he is facing bankruptcy...

 マーティ・キーナート


1964年から1968年スタンフォード大学生だった頃、私は野球部で選手としてプレイしていましたが、スポーツの中でもとりわけバスケットボールを観戦するのが何よりも好きでした。バスケットは、スピード感があり点取りと大胆なプレイの醍醐味があります。しかしながら我が校スタンフォードのバスケットボール部が、1964年から1975年の間全米選手権を12年間10回制覇していたバスケ強豪大のUCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)に負け続けていることは、何より悔しくてなりませんでした。


この頃、その強豪大UCLAに伝説のバスケットボール選手が入部したのです。彼の名前は、ル・アルシンダー/Lew Alcindor、身長218cm。1966年から1968年間、彼はUCLA大(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)を通算88勝2敗という成績で計3回の全米優勝に導いたのです。このLew Alcindorは、1969年にミルウォーキーバックスに入団しプロに転向する直前、イスラム教に改宗し名前をカリーム・アブドゥル・ジャバー/Kareem Abdul-Jabbar と改名しました。


カリーム・アブドゥル・ジャバーになった彼はNBAで、ミルウォーキーバックスからロサンジェルスレイカーズと20年間の選手キャリアで素晴らしい成績を残し、1989年に引退した際には、通算38,387獲得ポイント、1,074勝、3,189ブロックショット、9,394リバウンドを記録。今日でも彼の通算獲得ポイントはNBAの最高記録です。またオールスターには19回出場、6回のリーグMVPを獲得しています。


カリーム・アブドゥル・ジャバーは、その輝かしい現役生活を引退後も、マルチな才能を発揮し多くの映画に出演、さらにはベストセラー本の執筆活動や講演活動を通じ人種から宗教、歴史について人々を啓蒙しました。


そしてつい最近71歳になったこのスーパースターは、突如彼のキャリアにおける全てのメモラビリア(記念品)を大々的なオークションにかけると発表し人々を驚かせました。最初、皆は彼もまた投資やビジネスに失敗したか贅沢をしすぎた多くのスーパースターと同じように資金繰りに困ったのだろうと予測しました。2009年のスポーツイラストレーティドの記事によれば、78%のNFL選手が引退後2年以内には破産するか生活資金に困るようになり、ほぼ60%のNBA選手は引退後5年以内に破産しているというのですから、それも当然なことです。


しかしながら、このような悲しいデータは、カリーム・アブドゥル・ジャバーには当てはまりませんでした。彼は、彼の有名な経歴の証のメモラビリア(記念品)のほとんどを彼が立ち上げた“SKYHOOK FOUNDATION”という経済的困難から教育を受けられない子供達を援助する財団に寄附することにしたのです。この団体は、荒廃した都会で困難に陥っている子供達を、カルフォルニアの緑あふれる国立公園に連れていき自然を体験させながら人生を設計する手助けをしています。

カリーム・アブドゥル・ジャバーは、なぜ全てのメモラビリア(記念品)を手放してしまうのかと聞かれた時、「チャンピオンリングとトロフィーを部屋に飾ってただ眺めるだけなのと、子供達に人生を変えるチャンスを与えるのとどちらが有意義かと考えたら答えは非常に簡単だったからね、全部売ってしまえってね」と答えています。


カリーム・アブドゥル・ジャバーはさらに続けて言います。「私が人生で何をしたかを振り返る時、何十年も前の栄光の証の金のプレートを眺めているよりかは、芋虫をつかみ彼らの人生で何をできるかを夢見る子供達の笑顔を眺めていたいからね。それは何ものにも変えられない価値がある」と。


カリーム・アブドゥル・ジャバーの財団は、2010年の設立以来、すでに4,000人以上の子供達を援助していますが、ごく最近のオークションで売り上げた資金でさらに何千人もの子供を助けることができるといいます。彼の1987年のLAレイカーズのチャンピオンリングは、4,390万円で落札され、彼の通算38,387獲得ポイントの最後のシュートで使用されたバスケットボールは、2,970万円で落札、1971-72年のNBAのMVP獲得トロフィーは、1,364万円、さらには試合で使用していたプラスチックのゴーグルでさえ135万円で落札されてます。


カリーム・アブドゥル・ジャバーにあっぱれ!彼は、NBAの最高得点獲得選手であるだけでなく、多くの援助を必要とする子供達の心のNo.1でもあるのです。



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マーティ・キーナート

<プロフィール>

アメリカ ロサンゼルス生。1968年スタンフォード大学卒。1969年慶応大学日本語コース修了。以来滞日40余年、一貫して日米を通じたスポーツビジネスに身をおく。日米両国においてビジネス、プレイヤー双方の実経験から、日米比較や日本の教育システムにさまざまな問題を提起。2004年「東北楽天ゴールデンイーグルス」の初代ゼネラルマネージャー。仙台大学特命副学長/東北大学特任教授。

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