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インタビュー

佐藤 賢一(さとう けんいち)
2012年1月更新 小説家・1998年東北大学大学院文学研究科博士課程後期 単位取得満期退学 佐藤 賢一(さとう けんいち)

1968年3月12日、山形県鶴岡市に生まれる。
山形大学教育学部卒業。
東北大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程前期修了・博士課程後期単位取得満期退学。
1993年、在学中に『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞を受賞。
1999年、『王妃の離婚』で第121回直木賞を受賞。
鶴岡市在住。


中世から近世にかけてのヨーロッパを舞台にした歴史小説を、次々と世に問う小説家・佐藤賢一さん。奇想天外なストーリー性、濃厚な人物描写で知られるとともに、時代背景を描写する緻密な作風に高い評価を集めています。その下地を培った経歴の中では、東北大学大学院で西洋史学を学ばれたことが大きくクローズアップされます。近年は、日本の歴史小説なども手がけられ、歴史小説の巨匠としての歩みを固めています。

自分ならではの知力を磨く。

大学院時代は、研究と小説の二足わらじ
'99年 直木賞会見

そもそも小説家になるキッカケとなったのは、東北大学大学院で西洋史学を学んでいた頃に、ワープロを練習したことです。卒論は手書きでしたが、修士論文はワープロ普及の波に乗り遅れないためでした。最初は勉強のことを入力したのですが、5~6ページで終わりに。それで、もっと打ち込みたいと、勉強していた出来事に関わる人物に台詞を言わせてみたのです。それが面白くなって、書き続けたら300枚位になりました。それが最初の小説の原型です。後の『傭兵ピエール』のあらすじみたいなものでしたね。

それで、せっかく書いたのだから「小説すばる新人賞」に送ってみようと思い立って。送ったことも忘れていた頃に、最終候補4作に残ったという連絡が入りました。その年は新人賞には届かず、編集者の方からは来年もう1回書いてみないか、と言われました。それで次の年に書いた『ジャガーになった男』で応募し、「小説すばる新人賞」を受賞しデビューすることに。93年のことで、25歳の時でした。

その後、大学院で勉強と小説を書くことの二足わらじを数年、続けました。その時期が自分の中では一番苦しかった。論文を書けば小説みたいになるし、小説を書けば論文のようになる。小説とは何か、論文や研究とは何か、自覚しないと書けないわけで、それがすごく難しかった。

30歳から創作の実験をスタート

修士課程を終えて博士課程に進み、研究と小説のどちらを選ぶか悩み続けて、漠然と小説ってこうじゃないかと見えた時に、小説の方へ行くことを決めました。ただ、当時、僕は奨学金をもらっていたので、その返済のメドを立てる必要があって、すぐには学籍が抜けず、休学して小説を書いたりしました。結局、98年に単位取得の退学届けを出しました。

その年は30歳でしたが、「これから筆一本で生きていく」という高揚感と、短いスパンではなく長いスパンで小説に取り組んでいかなければならないという意識がありました。そこで自分の30代はいろんな実験をしてみようと決めたのです。舞台の設定、文体を変えてみたり、三人称を一人称にしたり、ハードボイルドや純文学のテイストも試すなどと、実験の10年にしようと。

結果的には翌年の99年に『王妃の離婚』で直木賞受賞という幸運に恵まれたのですが…。

現在、40代ですが、今も実験をやり尽くしてませんので、それを続けていこうとしています。実験を重ねながらライフワークを意識して、50代になったらいよいよ取り組んでいきたいですね。

何時間も話し込む、贅沢な時間

東北大学で過ごした時代は、大学とアパートを往復した単調な日々でした。研究室に机をもらいそこで夜遅くまで勉強して、週末には研究室の仲間と「飲みに行くか」となりました。それ以外は、塾の講師や答案用紙の採点などのアルバイトをしてました。

最も好きだったのは、図書館の書庫でした。本に囲まれて、何かとても気持ちが落ち着いたものです。

研究室に行くと、先輩や仲間と何時間でも話し込みました。自由に話せるその雑談の中で、研究の手がかりを得たり、いろいろな考え方にふれることができたのです。そんな贅沢な時間の使い方を、今の自分には到底できません。

そういうことを許容する雰囲気が、東北大にはありました。夜中に警備員さんが回ってきて、注意するでもなく「遅いので気をつけなさい」とだけ言って帰られたものです。

今は、携帯電話やスマートフォンなどがあり、わからないことも人に聞くよりも機械で済むような時代になっています。振り返ってみますと、今の自分の基礎になっていることは、本からではなく先輩から聞いた言葉が役立っています。スマートフォンの情報や本にそのことがあってもひっかからないし、人の口から聞く程は刺さってこないのです。

確かに話をしていて、ぶつかることもあります。冷静になって、またちゃんと話すとか、どう関係を修復していくかの知恵も必要で、お互いに努力したりもします。顔を合わせて話すことの意義は、ネット上の匿名性のやりとりでは決して得られません。まして、同じ方向性を持って探求しようとする人々との話し合いの場は、本当に稀少です。

東北大学で自分ならではの力をつけてほしい。
'99年 仙台の書店にて

大学院も博士課程に入ると、東京の学会へ出かけたりしました。とはいえ、当時は「あまり早く学会へ顔を出すのは良くない」と言われてました。東京の学生たちは情報量が圧倒的に多く、話の中に入れず、自信を失ってしまうからということでした。じっくり掘り下げて、濃い情報を求めていく姿勢がないなら、東北大で学ぶ必要はない、という自負心もあったように思います。

僕も仕事先が東京なので、行けば、ものすごく情報量が多く、本もものすごい量です。好きにそれらを使っている人間と対等にやっていけるか、不安にもなります。でも、僕にしかできない内容の設定や、僕にしか書けない知識があるから、仕事の注文が来るわけです。

ここ東北大学でやったことは、自信をもってやり続けたし、それを続けたことが強みとなったのだと思います。それに情報があまりない所にあるのが東北大学で、ない分だけオリジナルな自分の世界を作っていける面もあります。そこに気づいて、気持ちがラクになりました。

東北大学に学ぶ皆さんも、自分ならではの力をつけて自信を持ってほしいと願います。




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