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インタビュー

藤森 照信 (ふじもり てるのぶ)
第24回 2011年1月26日更新 桜岡大神宮宮司・仙台工業専門学校 1950年卒業 坂本 壽郎(さかもと じゅろう)

1946年、長野県茅野市に生まれる。1971年、東北大学工学部建築学科卒業。その後東京大学大学院工学系研究科にて近代建築、都市計画史を専攻し、1978年に博士課程修了。1980年、東京大学にて工学博士号取得(専攻:建築史)。 1996年に東京大学国際産学協同センター教授、1998年に東京大学生産技術研究所教授、2010年に工学院大学教授に就任し現在に至る。
建築家としてのデビューは1991年の『神長官守矢史料館』。その後『タンポポハウス』(1995年)、『ニラハウス』(1997年、日本芸術大賞受賞)、『一本松ハウス』(1997年)、『秋野不矩美術館』(1998年)、『熊本県立農業大学校学生寮』(2000年、日本建築学会賞受賞)といった、自然素材を大胆に用いたユニークな建築を日本各地に築いた。また作家の赤瀬川原平氏らと1986年に結成した「路上観察学会」や、写真家の増田彰久氏とともに街に埋もれる西洋館の発掘・紹介など、建築に関するユニークな活動を幅広く手がけている。著書も『明治の東京計画』(岩波現代文庫)、『建築探偵の冒険・東京篇』(ちくま文庫)、『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書)など多数。


日本近代建築史研究の第一人者、藤森照信氏。90年代に入って自ら建築設計を手がけるようになり、そのオリジナリティ溢れる建築作品は、建築界に大きな衝撃をもたらしました。木、土、石などの自然素材と質感、触感を重視した作品群は、世界の人々に「初めて見るのに懐かしい」共感を喚起させます。「建築の本質とは何か」を考えさせる求心力に満ちた仕事ぶりが、世界的な評価を集めています。

建築史と設計の触角から、建築の本質に迫る。

最初に触れたことが、後の自分の糧になる。
 東北大学工学部建築学科では、建築の歴史を学びました。当時の東北大学の建築系は「構造」が強く、「デザイン」の先生は居ませんでした。「デザイン」というよりも「計画」に力を入れてましたね。近年は建築家の阿部仁史さんがデザインを教え、現在は計画の小野田泰明さん、建築史の五十嵐太郎さんが頑張っておられて、嬉しい限りです。各大学の特徴やレベルは、実はリアルにわかるものです。ここ10数年の間に、東北大学の建築系の躍進ぶりはめざましいものがあり、安心できます。
 そもそも建築学は文化、芸術、思想との関わりがないと成立しません。それだけに学生時代は、ひたすら本を読む日々でした。建築系の本は今ほど多くはなくて、文学なども含めてたくさん読んだものです。当時、建築学科の図書室で、フランスの建築家ル・コルビュジエの本を原語で読んだりしました。その本の3分の2程度ページの封が切って無くて、これを手にした人が途中で挫折してその先にいけなかったのだと、ニヤリとしましたね(笑)。
 友人と、好きな建築家・白井晟一さんの作品を見に行ったり、講演会も聞きにいったりしました。建築学会の東北支部が黒川紀章さんを呼んで、講演会を行いました。黒川さんはデビューしたての頃で、ご自分で設計された寒河江市庁舎を案内して下さいました。それは、学生だった自分にとっては、とても印象に残り刺激になりました。今にして思えば、相当重要なことを学んでいます。最初に触れたものがそういうものですと、後々、とても役に立つわけです。
 日本の社会の中で、大学時代は迷ってもいい最後の時期だと思います。私たちの時代は、留年率が3割もありました。現在は、就職のことを考えるせいか、入学してから直線的に社会に出てしまうケースが多く、どうかと思います。

設計・施工一体型で、自然素材とテクスチャーの可能性を追求。
 卒業制作では、川の公害に着目し広瀬川に架ける橋の設計に取り組みましたが、設計はこれが最後と思っていました。ですが、45歳の頃に、私のふるさと茅野市から史料館を立ててほしいと依頼があり、設計することになりました。それが、神長官守矢(じんちょうかんもりや)史料館です。
 その頃、日本の近代建築史の通史を纏める目処がたち、少し心にも余裕があったので、設計をやってみようと決断したのです。何しろ、近代建築通史を書くのに、自分に課したプレッシャーが大きかったのです。その時、3つの目標を立てたものです。
 まずは、主要な建物は全部見ること。建物自体がどこにあるのかも不明ですから全国規模で大調査を行い、その1万3,000棟の中から主要な3,000棟を見歩いたものです。次は、関連図書はすべて読破すること。これは、図書館などで済ませることができました。3つ目は遺族にお会いして、資料などを集めること。これら3つに取り組みながら、どのように纏めるかずっと構想を練ったものです。
 当時、日本の近代建築史は、あまり知られてませんでした。辿っていけば明治時代に行き着きますが、ヨーロッパの作品をまねしたと思われて興味を持たれてなかったこともあります。私の結論では、確かに日本の建築家は海外作品を学習したものの模倣ではなかったということです。学習は丸暗記ではなく、辰野金吾先生にしろ問題意識を持ちながら冷静に判断していました。例えば、先生はノーマン・ショーなどのイギリスのスタイルを見て、これは日本にふさわしい建築だと思うが、今の状況ではやらないと言って、後に取り入れています。学習をしながら、日本の風土に適したスタイルの選択をするなど、当時は段階を経ていったわけです。その辺のことは、研究をしてみて初めてわかりました。その意味では、今の中国は短期間で近代化を果たそうと爆発のような勢いですから、大変ですね。主体が無いままに取り入れるまずさは、大きいです。
 史料館は守矢家の史料を市が保存するためのもので、自由にやって下さいと言われました。コスト的にも自由で、工事は大工さんはじめ地元の人たちが担当されて、とてもいい仕事ができました。
 設計では、手触りや質感を大事にして、自然素材を使用することを基本としています。中でも、木材は刃物で割るよりも、原始的な加工の方が面白いのではないかと、鏨で割ってみたらいい質感になりました。それ以来、私たちは「縄文建築団」と自称してます(笑)。
 図面には質感を記入できませんから、現場であれこれ質感を出す手法を工夫しながら施工していきます。この質感の開発も、私の設計の特徴となっています。例えば、壁塗りでも「粗っぽくやってくれ」と言っても、実際、ただ粗っぽいだけでは要望するニュアンスが違います。ですから、現場でテクスチャーを確かめるほかないので、設計・施工一体型になるわけです。
建築の本質を見つめ、「建築とは何か」を次世代へ伝える。
 2006年の第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展では日本館のコミッショナーの仕事をしましたが、これをきっかけに世界各地から呼ばれるようになりました。意外にも、設計と施工が未分離という私のような建築家は世界中でも居ないのです。それで、私の設計に興味を持たれるようです。
 ただ、困るのは、現地に行って建物を作るにも、自分のプランは相当、時間と手間がかかることです。現在も、ビクトリア・アルバート美術館からの依頼で、6月から開催しています「1分の1:建築家による小空間」展に参加していますが、なかなか作り切れませんでしたね。これは、世界の建築家が小さな建築物を建てることをねらいとしてまして、私は隠れ家を建てることにしました。

 茶室の設計を手がけていますが、最初から茶室を目的にしたのではなく、隠れ部屋の依頼があって、あれこれ考えるうちにそうなったのです。その時、茶室の歴史などをさらってみましたら、意外に言及されていないことに気づきました。
 利休以前には、召使いが茶を運んでいたわけです。利休が茶室に炉を切って、火をいれたわけですが、とても狭い空間に火を入れることは相当、問題なことなのです。「茶室は平面の狭さ、豊かな空間」と認識されてますが、この火については案外、気づいていないのです。
 小さな空間の中に火があることに着目してから、伝統的な茶室というよりも、建築の本質の問題としての茶室を捉えるようになりました。空間の基本的な単位とは何か、という興味を持ったのです。利休は畳二枚までしか小さくできなかったのですが、もっと小さくて、快適で豊かな空間づくりをしたいと思いました。
 ビクトリア・アルバート美術館に隠れ家を作った際に、茶室に椅子式を導入してみました。海外では、座るよりも腰掛ける方がいいわけですから。そうしたら、意外にもはるかに狭い空間でゆったりしたのです。利休の二畳よりも一尺四方分だけ、小さくなって、狭苦しくなくてビックリしました。「利休を超えるには椅子しかない」ということでしたね。それにしても利休はすごい人ですが、ミケランジェロと同世代なのです。もしか利休が遣欧使節団に入っていたら、システィナ礼拝堂でミケランジェロと二人で法王と秀吉の悪口を言いながら、「こんなことしてたら自分らは殺される」などと話し合ったかもしれません(笑)。

 建築は、図画・工作の延長です。ちなみに、飛行機や船はそうではなくて、ずっと精度の高いものです。精度が高くなくとも建築は成立して、いろいろと幅があります。産業が普通の人の生活につながっている所に建築というモノづくりがありますから、その大切さを伝えていかなければならないと考えています。
 今、高校生のために「建築とは何か?」を書いてみようと思っています。そのテーマは相当だいじなことだと考えています。というのも、建築界は専門家同士であれこれして、一般の人を対象にしては来ませんでした。それで、私自身は、最初から一般人向けということで建築の話を書いてきました。ここにきて、建築は何なのかということをきちんと伝えなければならないと思うようになってきています。これが、真面目な仕事の最後になると思っています(笑)。その後は、設計だけをしていくつもりです。




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