1枚の磁気ディスクに膨大な情報を記録できるHDD(ハードディスク装置)の登場は、クラウド、ビッグデータなどを出現させ、IT社会を画期的に進展させている。これは、従来の水平磁気記録方式から垂直へ切り替えることで、実現されたのである。この垂直磁気記録方式の研究・開発者が岩崎俊一博士である。その革新的な功績によって、エジソンやベル、ビル・ゲイツなどに贈られたベンジャミン・フランクリン・メダルのほか我が国の文化勲章など、数々の栄誉ある受賞を重ねている。
東北大学で本格的に研究に取り組み始めたのは、1951年。永井健三先生に指導を仰ぎ、交流バイアス磁気録音方式のメカニズムを探求、1960年に鉄・コバルト・ニッケルを成分とするメタルテープ(高性能金属微粉末テープ)を世界で初めて開発し、高密度化できることを実証しました。
テープは水平型記録ですから、高密度化には磁性層を薄くすることが要請され、その解決のために思索を重ねて発想したのが、新しい垂直磁気記録でした。この研究と並行して取り組んでいた磁気光記録の実験の中から、コバルト・クロム合金による垂直磁化膜も発見しています。
私が最初に垂直磁気記録方式を発表したのは、1977 年。ロサンゼルス市で開催されたインターマグ(国際応用磁気学会)で、垂直磁化膜と垂直型磁気ヘッドを組み合わせて、世界で初めて垂直磁気記録を実現できることを示し、新たな大容量化への道を確立しました。
「垂直磁気記録の原理や方向性は間違っていない」という確信があったので、1976年に日本学術振興会に「磁気記録第144 委員会」を創設しました。委員長として、大学と企業の共同研究をずっと指導してきました。研究成果は特許をとって縛らずに、オープンにしました。みんなで取り組むという姿勢が功を奏して委員会の結束を固め、30年に渡る研究を維持することができました。
この方式が初めて産業化され世に出たのは、2005 年、東芝の垂直磁気記録方式ハードディスクを搭載した音楽プレーヤーでした。その後は、国内外の各メーカーの製品化に拍車がかかり、次第に巨大な市場を作っていったのです。
学生時代は、よくドストエフスキーを読んでいました。姉の影響でしたが、心に残りました。永井先生という優れた指導者に恵まれたことも、大きかったです。「知るだけ、知識だけでなく、工学は役立つことが大切。研究を始めたら、途中で止めずに人々の役に立つまでやること」という先生の言葉は、今も心に刻まれています。
先生から「あなたは何かをやる人ですね」と言われて、東北大学の技術の系譜である本多先生のKS鋼、八木先生のアンテナに続くような実用技術をモノにしたいなどと、夢を持ったものです。
大学入学前の1943年に、当時の世相から江田島(広島県)の海軍兵学校で幹部候補生として学び、終戦を迎えました。水泳、ボートなどで身体を鍛錬したので、今も健康だし、姿勢がいいと言われます。
今、思えば、江田島で学んだ「指揮官先頭」という考え方が、自分の研究生活を支えてきたと思います。指揮官の条件は、「先見性を持って構想を練る」「勇気を持って実行する」「持ちこたえる」の3つです。これらは、研究に取り組む姿勢に指針を与えてくれました。自分個人のことより国や社会全体を考えるという教育が、特許をとるより社会のためという信念を生みました。
また、敗戦の悔しさもあって、何とか頑張って画期的な技術開発で一矢報いたいという気持ちもありました。
垂直磁気記録方式が産業化されるまで28年かかりましたが、革新技術が一般に普及するまで20 年以上かかるのは、歴史的にも当たり前のことです。この方式を提唱した当初は、水平記録の技術の改良にも勢いがあり、90年代には“死の谷”と言われる不遇の時代も経験しました。それでも、ついてきてくれる弟子諸君や仲間たちを励まして、世の中に役立つまでこぎつけることができたのも、この江田島の教えに負うところが大でした。
科学は知を広げて新しい文化を生み、技術はものづくりを通して社会を組織化し、文明を築く。そのように考えています。
垂直磁気記録の場合には、初めは水平磁気記録を展開する中で生まれた科学でした。実用化されて社会全体が使うようになって、社会の文明を担う技術になりました。垂直磁気記録は、科学から技術へ、文化から文明へと進展させたことを証明した、まさに現代のロゼッタストーンと言えます。
ですから、「科学は技術の母である」と言われますが、一方、技術は新たな発想の基盤をつくるという意味で、「技術は科学の父である」と確信しています。次世代の方々に、この言葉をぜひ贈りたいと思います。
単純な言い方をすれば、理工系の学生の皆さんには社会のみんなが使うものを、文系の皆さんには、社会のいい常識をつくってほしい。研究の競争相手は、となりの人ではなく、海の向こうの人々です。ライバルは世界なのだという意識が大事です。
次世代には、科学と技術のバランスを考えながら、文化というより人類の生き方に関わる文明を築くような、息の長い研究をしてほしいと期待しています。それは当然のことながら、倫理観と自然への十分な謙虚さを持つことが肝要でしょう。
1949年東北大学工学部通信工学科卒業、東京通信工業(株)(現 ソニー株式会社)入社。51年東北大学へ戻り、58年同大電気通信研究所助教授、64年教授、86年同大電気通信研究所所長。89年東北工業大学学長就任、東北大学名誉教授、2003年日本学士院会員、04年東北工業大学理事長を兼務、08年同大理事長・名誉学長
[主な受賞歴]
日本学士院賞(1987)、文化功労者顕彰(1987)、米国IEEEコンピュータソサエティ業績賞(1988)、瑞宝重光章(2003)、日本学士院会員(2003)、日本国際賞(2010)、文化勲章受章(2013)、米ベンジャミン・フランクリン・メダル受賞(2014)、仙台市名誉市民顕彰(2014)