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東北大学ひと語録

《愚直一徹、大道無門。》

遠藤 章

西澤 潤一(にしざわ・じゅんいち)

プロフィール

1926年(大正15)宮城県生まれ。東北大学工学部卒、大学院特別研究生。PINダイオード、静電誘導型トランジスタ、半導体材料の完全結晶育成法、高輝度発光ダイオード(赤・黄・緑)、光ファイバーなど発明、開発。世間の無理解と闘い科学技術の日本の独創をリード。東北大学電気通信研究所長、(財)半導体研究振興会所長を務め東北大学第17代総長、岩手県立大学学長、首都大学東京学長歴任。「半導体研究振興会」に拠り、大学の研究成果の社会活用に貢献。近年はテラヘルツ領域の研究の実用化成功。1998年(平成元)文化勲章受章。2000年(平成12)世界最大の学会米国電気電子学会(IEEE)エジソンメダル受賞。2003年(平成15)IEEEが「西澤潤一メダル」永久創設。勲一等瑞宝章受章。日本学士院会員、東北大学名誉教授、宮城県名誉県民など。


「ミスター半導体」・「光通信の父」と呼ばれ、「独創の東北大学」を代表する工学者。

「独創」と聞けば、元東北大学総長の西澤潤一を思い浮かべる方が多いことでしょう。

一方、西澤は、「闘う研究者」と言われることがよくあります。

いったいなぜなのでしょうか。

「ミスター半導体」とも呼ばれる西澤は、大学院3年目の弱冠24歳で、「PINダイオード」を発明します。それまでの、P層(プラスの意味)とN層(ネガティブの意味)の二層からなる「PNダイオード」の間に、「Ⅰ」で表現される、不純物がほとんど入っていない半導体、真性半導体をはさみ込んだもの。当時では信じられないほどの高い特性の半導体の誕生となりました。

半導体とは、金属のように電流がよく流れる物(導体)と、電気を通さない絶縁物との中間の性格を有する物質の総称です。ダイオードとは、半導体の応用の一種で、電子回路の中において電流の「整流作用(一定方向への流れ)」や「検波作用」などを行う重要な半導体素子のことです。

この発明の後、西澤は、半導体づくりのための完全結晶化技術の研究にまい進します。

成果を結晶成長学会などで発表。第1回ローディス賞を受け、「結晶の西澤」が始まりました。

さて、若き西澤は、電気通信学会で「PINダイオード」の特性を発表したそのときすでに「闘い」に直面します。研究内容には、当時の物理学の世界の大家で後のノーベル物理学賞受賞者のモットやショットキー、バーディーンなどの仮説を一部否定する実験結果が含まれていました。何度も実験を繰り返し、間違いないと確信し発表したものです。ところが、『定説と違う。そんなわけがない』、『若造が、何を言うか』の攻撃の嵐。学会の冷笑と非難の的となってしまいました。

当時の学会のあまりの風当たりの強さに、恩師である渡辺寧(やすし)教授が心配します。

西澤の精力的に提出する論文を渡辺が預かり、机の上に次々積み置かれ、学会誌には投稿されない不幸な事態にまで発展しました。研究者としてこれほど無念なことはありません。学会誌という評価の場を奪われた論文には、当時の世界が驚く、重要な発見や理論が含まれていたのです。

にもかかわらず西澤は、憑(つ)かれたように半導体素子の実験と研究に日々没頭します。

一方、渡辺は、西澤を27歳にして助教授に抜擢しました。先輩助手10人を追い抜く、驚くべき昇進の速さと若さです。西澤の卓越した能力と熱意を、渡辺はもちろん認めていたのです。

発明の一つ「静電誘導トランジスタ(SIT)」は、大電流に耐え、動作速度が速く、消費電力が少なく、99パーセント以上の高効率の電流変換を実現しました。理想的な素子として直流の電力送電から音響にまで使われています。いま主流の交流送電は、発電所から長くても300キロメートル程度しか送ることができません。SITを使えば、1万キロメートルを越す超長距離の直流送電ができ、電力損失もほとんどないのです。発電所から世界中に電気を送ることができ、遠くにあってまだ利用されない水力発電能力だけで、世界のすべての電力利用をまかなえます。CO2(炭酸ガス)とも無縁。地球の未来に警鐘を鳴らす西澤の、課題克服となる研究です。

この発明は、1974年(昭和49)日本学士院賞を受賞します。学会から散々叩かれ続けてきた西澤には意外でした。推薦者は、八木秀次博士。西澤とはほとんど面識のなかった八木の「研究評価」の結果です。学会や工業界で四面楚歌の西澤を社会的に後押しする契機となります。

西澤とは、己のなすべきことを学生時代から自覚していた人物です。資源の無い、日本の戦後の窮乏した社会を救うには「科学技術」しかない。工学者として歩む自分がなすべきことは社会の必要とする「創造」にある。この己の信念と自然の真理の前に正直であろうとすると、定説を振りかざし、欧米の技術の模倣と後追いに熱心な学会や工業界と闘わざるを得なかったのです。

現在のIT社会を生み、「光通信の父」と言われることになる、光通信の基本三要素の発明の場合も、学会や企業からの風当たりの強さは相変わらずでした。西澤により、光通信の「電気→光」の発信装置「半導体レーザー」、光信号を送る伝送媒体「光ファイバー」、「光→電気」の受信装置「PINダイオード」の基本的な発明が、1950年代にすでになされています。

世紀の大発明「光ファイバー」も、日本の学会や工業界は相手にしません。西澤の応用研究への資金援助要請はすげなく断られます。米国が五年後に実用化し、あわてて注目する始末です。特許に関する特許庁との確執も、後に西澤はもちろん日本に大きな禍根を残すことになりました。たとえば、「半導体レーザー」の発見はコロンビア大学のタウンズということになり、ノーベル賞を授けられますが、西澤の特許出願はタウンズの発見の1年ほども前だったのです。

さらに、誰もやらなかったテラヘルツ波帯でも周波数発振を実現。その全領域を埋め尽くします。

西澤の高輝度発光ダイオード(LEDの赤・黄・緑)の開発もノーベル賞級の発明です。定説にとらわれず、蒸気圧を細心に調節し合成、基礎と応用をつなぐ「西澤流」で成功します。西日の中でも明瞭に見える優れた表示素子ですが、交通信号灯など社会での活用はなぜか遅れました。

このほかにも、「出る杭は打たれる」式の理不尽な扱いがあまりにも多く、西澤は、長いものには巻かれろとは逃げず勇気を持って、世間の不公正さや圧力と闘ってきたことは事実でしょう。

筆者は、己が主宰した「学都仙台を梃子にした地域発展」のシンポジウムにおいて、無報酬にて西澤に基調講演をしていただいた体験があります。司会進行役として当日の段取りを説明いたしますと、西澤は、何者とも知れない一市民の筆者に、まるで少年のような純真な眼を向け、説明の一つひとつに行儀良くうなずかれるのです。

西澤のその姿には、文化勲章の受章者、世界最大の学会『米国電気電子学会(IEEE)』が、20世紀の天才としてエジソンとグラハムベルから始まる世界で13人目の、その名を冠した賞『西澤潤一メダル』を永久に創設された権威者としてのおごりなどひとかけらもありません。

偉大な人物の人格にじかに接すことができた、という感激を味わいました。

西澤の本質とは、実は「純真さ」、「素直さ」にあるのではないか……。

世界の大研究者にはたいへん失礼ながら、このような印象を受けたものです。

《日々自然を相手にしていると、自分をごまかせないのである。》

この愚直さこそが、「独創と言えば西澤潤一」と評される、創造の「大道無門」の境地に到達させたのではないでしょうか。

数々の「独創」は、困難な道を自ら選び取った西澤への、神様からの贈り物かもしれません。


文中敬称略、ルビ・カッコ内補注筆者。お子様などご家族にもお見せいただければ幸いです。
当シリーズへの、ご意見、ご要望をお待ちいたします。

主な参考資料
▽『独創は闘いにあり』 西澤潤一著 新潮文庫 新潮社 1987年▽『私のロマンと科学』西澤潤一著 中公新書 中央公論社 1990年▽『教育の目的再考』 西澤潤一著 岩波書店 1996年▽『教育亡国を救う――科学的教育学のすすめ』 西澤潤一著 本の森 2000年▽『愚直一徹 私の履歴書』 西澤潤一著 日本経済新聞社 1985年▽『戦略的独創開発』西澤潤一著 工業調査会 2006年▽『光通信五十周年』 西澤潤一著 学士会報2010年7月号所載▽『生み出す力』 西澤潤一著 PHP新書 PHP研究所 2010年




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