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東北大学ひと語録

                    

My life is only one.

山本義一
山本義一

気象学の近代化に貢献。「大気放射学」の世界の権威。環境科学推進を地球の危機への政策課題と訴えた。


世界に先駆け、地球のCO2増加の危機に警鐘

東北大学にとって、実にもったいない話です。

東北大学は、世界に貢献し、誇るに足る本学関係の研究者や同窓生の真価を、全学を挙げて社会に知らしめ、応援、顕彰する重要性に、少し無頓着過ぎたのではないでしょうか。

山本義一という科学者を知れば知るほど、改めてこの事実に思いが至ります。理学部地球物理学科教授であった山本とは、地道な理論的計算から地球のCO2の急激な増加による影響を察知、その事実がもたらす人類と地球の危機を予見、世界に先駆け警鐘を鳴らした一人です。

つまり、「京都議定書」で知られる「気候変動枠組条約の第三回締約国会議」に世界各国が集まり衆議をこらす端緒を創った一人が東北大学の山本といえましょう。人類や地球全体の未来を賭けた政策課題を、科学的な知見に基づきここ仙台の山本の研究講座から世界に敢然と発信された。そして、その科学者としての先見が、いつしか世界の識者によって共有され、世界の最重要課題として論議され、条約として各国の努力目標となる。

優れた研究成果と真摯な学究の徒としての信念が世界を動かしたのです。

科学者として、ある意味では世界でもまれな研究者冥利につきる存在といえるでしょう。


ところが、どうでしょう。足元の東北大学においてさえ、山本の存在とその功績を深く理解しているでしょうか。今回、山本の業績と人物像を調べようとして、あまりの資料の少なさに驚きました。日本学士院賞をも受賞している傑出した研究者です。ところが、停年時の最終講義録すらありません。自己宣伝には関心のない、典型的な学者肌の方だったのでしょう。まさに東北大学出身者らしい人柄と思われます。もちろん、世界の気象関係の専門家ではよく知られた権威者でした。しかし、一般市民にとっては、地球の温室効果ガスの問題は理解しても、その問題提起の先駆けを東北大学の山本教授が成し遂げたことはほとんど知られていません。西澤潤一元東北大学総長が、多くの著書で山本の果した重要な役割を粘り強く紹介している例が目立つくらいです。地味ではあるが世界に誇るに足る研究者を、東北大学自身が社会に強くアピールしないで、誰が代わりにしてくれるでしょうか。

山本の場合を一例とすれば、東北大学は、直ちに『東北大学 山本義一地球環境科学賞』のような顕彰施策を検討し、実現すべきではないでしょうか。

環境都市、環境技術先進国を目指す仙台市や国とも、その方向性を共有できるはずです。


日本の気象学に物理学の理論を融合、大気放射学の近代化を実現

山本の最初の勤務先は中央気象台(現在の気象庁)です。大自然の地球環境を相手にする難しさもあり、戦前の気象研究は近代化が遅れていました。当時はフグ料理を食べるとき「気象台」と唱えると「天気予報のように毒に“当たらない”」とのおまじないがあったほどです。

気象観測と予測は、科学というより経験と勘がものをいう時代がまだ続いていました。

そこで、山本は、物理学分野の分子分光学と天文学の放射伝達理論との融合を図りました。水蒸気やCO2の赤外吸収帯を研究、正確な吸収率を導入し、大気中の赤外放射伝達の数値解法を確立。これは、「山本の放射図」として世界で活用されました。

こうした研究実績が評価され、米国の気象庁から招聘。人工衛星による赤外線放射を観測することで気温の鉛直温度分布を求める方法の探求を依頼され、見事に実用的な解析法を創案、国際的な期待に応えました。この功績により「米国気象庁賞」を授与されます。


気温とは、簡単にいえば、太陽から受けたエネルギーを地球が反射や散乱で宇宙に戻しながら吸収もする、こうして暖められた地球から赤外線としてエネルギーを宇宙に放射するとともに途中で吸収もうける、という総合的なバランスによって決められるもの、と説明できます。暮らしに身近な気温一つをとっても、その生成のメカニズムはたいへん複雑であり、刻々の環境状況なども影響します。

さらに問題となってくるのは、CO2を含めた温室効果ガスが気候に及ぼす影響です。

この点において、山本は、世界に先駆け、卓越した研究者魂を発揮しました。

人間が活動することによってCO2が増加し、気候を変えるのではないか、との予見です。煤煙などによる健康被害、つまり公害がようやく注目され始めた時代よりも前に、すでに山本は、CO2の増加による地球の温暖化の危機に警鐘を鳴らしました。

1957年7月14日の朝日新聞朝刊への署名記事「暖かくなる地球 工業の発達で炭酸ガスがふえる」とのタイトルで、まだ戦後の雰囲気の残る昭和32年の段階で、世界に先立つ大胆な問題提起をしたのです。


これは驚くべき先見性と勇気といえましょう。さらに素晴らしいのは、東北大学の山本の一研究講座のスタッフの力で、まずはCO2の増加による気候の変化を地球規模で実証するための基礎研究に取り組んだことです。また、CO2観測のための布石を着々と打っていきました。当時においては、世界で唯一に近い研究の始まりでした。

山本がよく言っていた言葉が、《 My life is only one.》だそうです。

自分自身はもちろん、山本研究室そのものも、研究の世界で“Only one”を目指す。この気概は、研究室の後継者さらには孫弟子に受け継がれ、大きな成果を挙げるのでした。


山本の播いた種。東北大学が「温室効果ガスと気候変動」の研究拠点に

山本は、研究者、教育者として、有能な後継者を輩出することにも成功しました。田中正之、近藤純正、中澤高清といった後継の教授たちや、青木周司といった孫弟子に当たる教授たちにより、温室効果ガスによる気候変動に関する研究が、「地球物理学教室」でつぎつぎと続けられ、成果が生まれます。たとえば、中澤は、大学院を終了した直後に、宮城教育大学の学長になっていた山本の助言もあり「大気のCO2の変動の観測」を研究テーマにします。当時は、米国のチャールズ・デービット・キーリングが論文でCO2の増加を主張していましたが、学界でも強い批判がある状況でした。

このような困難な雰囲気にもかかわらず、山本の研究室の後継者たちは日本で初めての本格的な研究に敢然と取り組みます。

南極ドームふじ基地における氷床コア掘削風景

太古から雪が積み重ねられてつくられた南極の氷床から氷の柱を掘り出し、その氷に含まれる空気の小さな粒からCO2の量を正確に観測、年代によるCO2の変化を明らかにしました。

地球の各地域で空気を採取するために、学者らしからぬ行動力と交渉力をも発揮しました。日本の航空会社や海運会社に掛け合い、飛行機や商船に空気を採取するための装置をのせてもらうことにも成功したのです。このアイデアで、地球規模での時間的に連続した定点観測が可能になりました。

中澤の表現を借りれば≪時間軸は、過去100万年から将来100年先まで。高度は、下は-4キロから上は35キロまで、(中略)一つの研究室でやっているのは、世界にも例がないですね。》という快挙を生みます。

このような努力の積み重ねと正確な観測結果が、世界の研究者や識者を動かし、温室効果ガスによる気候変動への世界的な危機感が共有される大きなきっかけをつくっていった…。このことは間違いありません。


山本の先見性で驚くことは、前述の1957年の新聞記事の中で、CO2増加による地球温暖化説に対する現在の一部にある批判への回答がすでに用意されていたことです。

≪最後に、ここに述べた気候温暖化の傾向と年を追っての気候変動とを混同しないようにお願いしたい。》

南極海での船舶観測風景(海洋のCO?観測)

つまり、自然的な要因による循環気温の寒暖はもちろんありますが、CO2の増加は確実に温暖化をもたらす原因になる、と指摘していたのでした。


最後に、再び指摘したいと思います。山本にかかわらず、東北大学は、世界や人類に貢献した科学者や同窓生を輩出しています。これら優れた逸材を社会に広く知らしめる努力は、東北大学の重大な責務です。このことを深く認識しないと、一般社会からの大学評価はもちろん同窓生の愛校心の深まりも多くを期待できません。まず動き出すべきは、東北大学自身なのです。









1909年(明治42)、金沢市生まれ。東北帝国大学理学部物理学科卒。その後、中央気象台、中央航空研究所を経て、1945年(昭和20)に東北帝国大学理学部に地球物理学科が開設され教授就任。気象学講座の発足からその発展と充実に貢献。気象学、特に大気放射学の近代化の先駆者として活躍した世界的な権威者。大気中の赤外放射伝達の図式解法は「山本の放射図」として広く活用された。また、人工衛星による赤外放射の観測から気温の「鉛直(重力の方向)分布」を求める解析法を提案、「米国気象庁賞」を受賞。さらに、時代に先駆け、人間活動に起因する大気中の二酸化炭素(CO2)やエアロゾル(大気浮遊微粒子)の増加が及ぼす気候変化の懸念を指摘、科学的な観測にいち早く取り組んだ。その結果から地球環境への重大な危機的未来を予測。世界に警鐘を鳴らし、その後の「CO2増加への地球規模の政策課題」を各国が議論する端緒を創る。日本学士院賞など受賞多数。退官後に宮城教育大学の学長歴任。1980年(昭和55)没。


文中敬称略、ルビ・カッコ内補注筆者。お子様などご家族にもお見せいただければ幸いです。
当シリーズへの、ご意見、ご要望をお待ちいたします。

主な参考資料
▽『著作目録 昭和46-49年度 第92号』記念資料室 ▽『新気象学概論』 山本義一著 朝倉書店 2008年 ▽『気象学概論』 山本義一著 朝倉書店 1950年 ▽『大気環境の科学4 気象変動』 山本義一編 東京大学出版会 1979年 ▽ 『暖かくなる地球 工業の発達で炭酸ガスがふえる』 山本義一著(朝日新聞東京版朝刊1957年7月14日掲載記事) 朝日新聞社 (昭和32) ▽『気候変動に関する国際連合枠組条約』 国際連合 1992年 (環境省ホームページ) ▽『故 山本義一先生のご逝去を悼む』 田中正之著 日本気象学会機関誌 「天気」 第27巻 第5 号 1980年 ▽『会員の広場 故山本義一君の一周忌に際しての思いで』 寺田一彦著 日本気象学会機関誌 「天気」 第28巻 第2 号 1981年 ▽『人類は80年で滅亡する 「CO2地獄」からの脱出』 西澤潤一・上野勛黄著 東洋経済新報社 2000年





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