変わりつつある「死」

田口 喜雄=文
text by Yoshio Taguchi

 最近のことですが、仙台のある病院での腎移植が500例に達したことで関係者の集まりがありました。この病院では、腎移植が日常の業務になっています。東北ではこの他、弘前、八戸、盛岡、秋田、山形、福島、いわきなどでも腎移植は行われています。
 東北大学医学部附属病院での肝移植も40例を越して、少なくとも月に2例は行われています。
 脳死からの臓器提供の申し出も東北地方の病院から、2件あり、いずれも腎臓だけでなく、心臓・肝臓などの臓器移植が全国規模で行われました。加齢医学研究所での肺移植の患者さんも、無事退院されました。
 臓器移植は大々的に報道されるわりには、人によっては、遅々として進まないようにみえるかも知れませんが、人々の善意で成り立つ「移植医療」が、東北地方でゆっくりではありますが、根付いてきたように感じています。
 私たちは、生きているかぎり「息」をしています。大学病院を生活の場にしていたころ、人の臨終の場に何回も立ち合いました。かすかに息をしていた方が、大きな息をし、その後、息が途絶えます。聴診器を胸にあて、瞳を調べ、かたずをのんで見守る家族の方に「ただ今、息をお引き取りになりました」と述べると、不安げに告知を待っていたかのような家族が遺体にとりすがり、号泣する場面が「人の死」でありました。それは、辛く、自分たちの至らなさや無念を感じる瞬間でもありました。そして、家族の方が「間に合ったのだろうか」という想いをもった時でもありました。
 そのような「死」の場面が変貌してきました。



 発端は、麻酔中の呼吸管理に使用されていた人工呼吸器の登場であります。改良が加えられ、呼吸が十分でなく、これを補助することで回復が期待される場合に使われるようになり、多くの困難な手術を可能とさせました。呼吸を補助することで生命を維持することができる病気にも応用され、現代の医学の成果となりました。
 呼吸器による管理が一般的になって、自発呼吸が止まっても、呼吸器を続けて使用する場合も出て来ました。
 「脳死」と言われているのが、このような状態です。
 「脳死」という概念は、今世紀の初め頃からあったのですが、実際には「人工呼吸器」が登場してから一般的になりました。医師の専門集団である日本医師会は「脳死」を「人の死」であるとしています。また、日本学術会議でも同様の見解を示しているのは、このような理由からであります。
 ただ、「人の死」の時は、その個人と深く接触していた人々のあきらめきれない別離の時でもあります。理性だけでは御しきれない部分があります。これが、また、大事な「人間関係」の基でもあります。そして「死」は時間が経てば、その肉体をだび荼毘に付し、お骨にするのがわれわれの習慣でもあります。
 「人が生物であるならば、他者の犠牲の上でも自分の生存を願う生きものである」という考え方をすることで、生きている病者や障害者に対して、より良い「生」を提供しようという考え方も出て来ました。死体利用の研究が、医学だけでなく広い分野で行なわれるようになってきた背景でもあります。
 「自分の死」はどのように扱われるのが良いのかを一人一人深く考えることが要請される時代が、これからの時代でもあります。



たぐちよしお
1938年生まれ
現職:東北大学留学生センター長・教授
専門:異文化健康論、外科学一般、臓器移植、レーザー医学