東北大学入学は一九六一年、半世紀も過ぎました。自力で卒業するからと父母を説得しての入学だったので、四年間の学部生活はアルバイトに精を出す毎日でした。夜警の住み込みや襖張り、家庭教師などです。授業を終えるとすぐ会社で勤務に就く毎日で自宅学習はほとんどできませんでした。それだけに川内の授業は今でも鮮明に記憶し楽しい思い出が沢山あります。将来はきっと身近になる国と考え中国語とロシア語を習い始めました。中国語は文学部と経済学部から一名ずつ、工学部から私とたったの三名で教授室での授業でした。今日の状況を見ればまさに先見の明と思いますが、他の授業も忙しく頓挫したのが心残りです。いまその中国に来て大学院生に「磁気記録材料の講義」をしています。語学力不足を嘆きつつ奮闘中ですが、学生たちの熱心な受講態度は当時の私たちを思い起こさせます。
東北大学電子工学科では、さすがに各方面でご活躍の大先生が沢山おられ身の引きしまる思いで授業を受けたものです。最先端授業内容に加え、社会に出て恥ずかしくないようにと授業中でも厳しく躾をしていただいたことが今でも強く心に残ります。卒業後は、電気通信研究所の岩崎俊一先生の下で磁気記録媒体の開発研究に携わりました。先生の垂直記録発明以後はその媒体の研究へとまたとないテーマを頂いて、今日まで四〇年にもわたりご指導を賜っています。材料研究でしたので金属材料研究所や他の学部の先生方に学ぶことも多く、総合大学のメリットを十分に享受してまいりました。その絆は秋田の研究所に赴任してからも研究員の博士号取得のご指導も含め今日まで変わらず続いています。このような絆が人を育て基礎学理の普及や産業育成に大きな力となっています。特に東北において学究の中心である東北大学の果たす役割は極めて大きなものがあります。
ある中国人作家は言います。「日本人は一人だと虫だが集まれば竜になる、中国人は一人だと竜でも集まると虫になる。」それが日本の底力だと。誇張しすぎですが遠く日本を離れ東北大と同じ一〇〇年の歴史ある大学の教壇に立ってみて共感させられる言葉です。大天才の輩出もさりながら、国際交流も含め俊才たちのネットワークの良さは東北大学の忘れてはならないひとつの大きな力です。先達に学びながらも若い学徒の知の創造へ向けた誇りある新たな前進を期待します。地球規模の難題山積の中、東北大学の真価はこれからが本番といえましょう。