東北大学を退職して三年になります。本稿の執筆依頼文を、「学外からの視点で遠慮せず思いを語れ」と解釈しました。そもそも私は、在職中から東北大学を「外から」見ていました。学内の諸会議でも外から見える真実を遠慮なく述べ、時には煙たがられました。なぜそんな?
大学は若者を預かり教育する機関です。教える側の教授たちが学生と同じ視線で理想と真実を語り、教育・研究現場での理非を糺さなければ、その存在意義を失うでしょう。退職時に先輩に言われた「あいかわらず青いな」を、私は賛辞と受け取っています。
東北大学は、文部科学省お墨付きのCOE(国際卓越研究拠点)をいくつも抱えています。しかし浮かれていてはいけません。最近、あるCOEの代表者が私に言いました。「これからの研究者は広い視野と強いリーダーシップを持っていなければなりません。あなたのようにひたすら専門を究めるだけの独りよがりの研究者はいりません」と。彼は間違っている。真の研究者はみな、誰よりも独りよがりで頑固です。社会や学会が認めなくても、自分を信じ研究に打ち込む。そこから独創的な仕事が生まれるのです。
私の博士研究は故伊藤英覺先生(文化功労者)のご指導のおかげで、アメリカ機械学会のムーディ賞を受賞しました。日本人が日本で行った研究では初めてのことでした。しかし、私は学位を取得したこの研究分野の前途に悲観し、学問的放浪の旅に出ました。自分を研究に駆り立てる熱い鉱脈を探して、十年、悩み、さまよいました。そして、三十七歳の時、ついに金の鉱脈を見つけました。欧米の研究者が果たせなかった「ボルツマン方程式(※1)の解法を導く」という仕事に、世界で初めて成功しました。この研究は発表当初、国内では厳しい批判を浴びましたが、ほどなく、ドイツ・ロシア・イタリア・フランス・英国の研究者が絶賛してくれました(この功績を核に、二〇〇八年に紫綬褒章を受章)。しかし十年後、先の見えた金鉱を捨てさらに放浪十年。五十七歳のとき、ランダウ・フォッカー・プランク方程式(※2)の解法を発見し、久しぶりに胸が熱くなりました。今私は、全身が震えるあの発見の喜びをもう一度体感して、人生を締めくくりたいと考えています。近況を次の散文詩にし、筆を置きます。
—北上川の下流に広大な葦原がある。葦の丈は人の姿をすっかり隠して余りある。葦の間から天を仰ぐと、濃いブルーの空に孤高の白鷺が舞っていた。一陣の風が立ち、葦の穂がざわついた。葦原の真っただ中にひとり佇み風のさやぎに身をまかせていると、光の見えない研究に一人立ち向かっている無為徒食の今の人生が、無限に豊かなものに思われて来た。