「自閉症」という言葉のイメージは 自閉症」という言葉から、どのようなことをイメージしますか?「自分の殻に閉じこもって誰とも関わりを持とうとしない」、「うつと同じ」、「親の育て方のせいで自閉症になる」、「重大で不可解な犯罪を引き起こす予備軍」などなど…のイメージを持たれている方も、中にはいらっしゃるのではないでしょうか?このような“自閉症イメージ”というのは、間違いだということを、まず始めにお伝えしておきたいと思います。 私は、学生の頃から三〇年以上にわたり、たくさんの自閉症の子どもや成人の方、そしてそのご家族の方と出会ってきました。人と関わることが好きで、訪問者がいると、どこからきたのか、誰ときたのか、たくさんの質問をする子どももいました。とってもおしゃべりな子どももいましたし、無口な子どももいました。私が学校に行くと必ず、明るい丁寧な挨拶をいつも欠かすことなくしてくれた子どもにも出会いました。決められた社会的なルールにはとても忠実で、仕事もきっちりと間違いなくこなす自閉症の方には、仕事を任せることに安心感を感じていました。そして、これ以上ないというくらいのたっぷりの愛情を注ぎ、子育てをされているご家族にもたくさん出会ってきました。 自閉症は脳機能障害のひとつです。したがって、親がテレビに子守をさせたりなど、育て方が悪かったから自閉症になるなどということはありません。自閉症の子どもは人間嫌いでひとと関わることを拒絶していることもありません。さらに付け加えるならば、未だに間違ったイメージで自閉症を語ること(新聞報道などにおいても)によって、とても傷ついている方々がいるということを心に留めておいていただきたいのです。 自閉症児のエコラリアとは? 自閉症の特徴の一つとして、エコラリアがみられます。相手が何か言うと、その言った内容をすぐにそのまま繰り返したり(=即時性エコラリア)、以前聞いたコマーシャルの一部を時間をおいて繰り返したり(=遅延性エコラリア)します。このようなエコラリアは、言葉の表出のみられる自閉症の子どもの少なくとも八五%にみられる特徴だということが報告されています。 エコラリアをたくさん出す自閉症の子ども(八歳)とそのお父さんとが、レストランで食事をしている場面での二人のやりとりを漫画にしてみましたので、まずは、漫画の緑の吹き出しの中だけを読みすすめてください。これは「会話が成立している」状況なのでしょうか? お父さんが「スパゲッティがきたよ!」と言うと、子どもは「セコムしてますかぁ~」と、スパゲティとは関係のない、セコムの話を突然言っています。お父さんが「お箸で食べる?」と聞いているのに、お箸を使うかどうかを応えるのではなく、「お箸で食べる?」と同じことをお父さんに聞き返しています。 「スパゲティとは関係のない」「同じことの単なる聞き返し」とすると、この子どものエコラリアは意味がなく、コミュニケーションの機能を持っていない言葉ということになります。自閉症児の言葉についての研究の中にも、「意味なく繰り返す」「不適切な反復」「何の機能も持たない繰り返し」という表現でエコラリアを説明している研究者も多くいます。そして、エコラリアがこのように不適切な言葉だと捉えるならば、適切な言葉に置き換えていくといった関わりが求められることになるでしょう。もちろん、そのような関わりも大切です。 自閉症児のエコラリアは コミュニケーションとしての意味がない? しかし、その前に立ち止まり考えていきたいことがあります。エコラリアは、その子どもにとって本当に「意味がない」のでしょうか。なぜ、このお父さんは一見つじつまの合わないやりとりなのに、「会話」を続けているのでしょうか。この子どもとお父さんの間には、会話が成り立っていると思いませんか。そのように思えるのは、子どもの言葉の奥に、漫画のピンクで囲まれた吹き出しで示した気持ちがあることを、お父さんがわかっているからです。 自閉症児のエコラリアにはその子どもなりの意味がある、このような立場にたってエコラリアにどのようなコミュニケーション機能があるのかを調べていこうとする研究が進められています。それによると、漫画の最初のコマのような、「うれしい」など肯定的な気持ちを表すときに使うエコラリア(=肯定表現型)、漫画の4コマ目のような、自分で自分の動きをコントロールするために使うエコラリア(=自己統制型)、最後のコマのような順番に発言することを楽しむためのエコラリア(=発話順番型)など、七つに分類できることがわかってきました。 このように同じ即時性のエコラリアで、直前の言葉を繰り返す場合にも多様な意味が込められていたり、「セコムしてますかぁ」というコマーシャルのフレーズを繰り返す遅延性のエコラリアの場合も、やはり多様な意味が含まれているのです。 自閉症児の言葉の中にいかに 意味を見出すか? 自分の気持ちや要求を表すのにエコラリアを多く用いる子どもを前にしたとき、「この子はわけのわからないことを言う」という表現で、その子どものことを語る場合も少なくないかと思います。しかし、ここで今一度考えていきたいと思っていることがあります。それは、「わけがわからない」のは誰なのか、ということです。「わけのわからない」ことを言っている子どもでしょうか。それとも、子どもが表現したい気持ちについて「わけがわからない」関わり手自身なのでしょうか。子どもの言葉の意味を汲み取ることができるひとにとっては、「そのわけはわかる」のです。 言葉は、それを発する方と受け取る方とのあいだに、共通の意味が成り立ってはじめてコミュニケーションとしての機能が成立します。一見意味のなさそうな子どもの言葉の奥に潜んでいる意味を見出すことによって、子どもとどのように関わりを深めていけるのか、このような立場にたって研究や臨床を進めています。そして、このことは自閉症児とのやりとりに関わらず、ひととひととのコミュニケーションがどのように成り立っているのかを考えることにも当然のことながらつながっていくことになるのです。 |
田中
真理(たなか
まり) 1962年生まれ 現職/東北大学大学院教育学研究科 准教授 専門/発達障害学 関連ホームページ/http://www.sed.tohoku.ac.jp/lab/clipsy/tanaka/index.html |