大学教育の潮流 私にとっての大学教育の50年
 今、世界はグローバルな経済問題、環境問題など、多くの難題に直面しており、人類の存続にも関わるこれらの問題の解決には、それこそ英知を結集しての取り組みが必要とされています。この時、大学などの高等教育を通じて、問題の解決を担える優れた人材を得ることは、きわめて重要です。さて、大学における教育に対する社会から寄せられる期待の中身は、時代を経て変容しているようです。少しこのことについて、つたない私の経験を基に、とりとめのないことを書き留めてみたいと思います。
産業の担い手の育成を最重要課題に
 私がまだ子供であった頃の、四〇~五〇年くらい昔には、大学へ行くことはまだ一般的ではなく特別な人だけが行くところとしてとらえられていた様に思われます。事実、私自身も、家の近くの町工場で働く職工の姿を見ては、将来物作りの職人になることを夢見ていたと記憶しています。また、近所には某大学に通う大学生のお兄さんが居ましたが、勉強を教えてもらいに時々訪ねてゆく存在であり、当時日本がおかれていた歴史的背景からすると、自分の将来像としての高等教育への期待は高校止まりでした。日本が邁進していた工業・産業の担い手の育成が教育の最重要課題として重きを置かれていたのでしょう。
大学の存在意義が問われる時代へ
 しかし、その後一九六〇~一九七〇年の一〇年間は、実は、大学教育の意義あるいは、大学そのものの存在意義は大変大きく変貌した様に見えます。この一〇年間に起こった記憶に残る事柄といえば、スプートニクに始まる宇宙開発とアポロ計画による人類の月探査、日本の南極観測参加。朝永振一郎博士のノーベル物理学賞受賞などがありました。 一方、大学紛争の発生など、研究・教育の現場としての大学は社会との関わりを強く持つようになったと見ることができるでしょう。このような中で、私は受験勉強と大学受験の渦の中に身を置くことになりました。このような時代の渦の中、東大の入学試験が中止となる異常事態が発生しました。つまり、社会を変える目的のなかで、大学の変革が強く叫ばれていたように思えます。そのうち私は、学生として大学に身を置くようになり、教育を受ける立場として大学教育の真っ只中におかれました。ここで初めて、学問や研究といった言葉で表される様な高等教育のバックボーンをなす学問の潮流に遭遇することになったわけです。大学が学問研究と教育の現場であることをここに至ってわたしは初めて知ることとなったのです。
次世代育成へ大学に期待
 そしてさらに約三〇年を経た現在、今度は大学教育を行う側に立って次の世代に今何を伝えるべきかを日々に思う立場となりました。また人の親として、今までとは若干異なる立場から大学教育への期待をも考えるようにもなりました。これは良い経験でした。今指導をしている学生の親御さんたちがどのような期待を持って学生さんを大学に通わせているかを考える機会となったからです。親の立場からの大学教育への期待は、社会における大学の役割や、人類の英知を創造していく役割などといった期待とはかなり異なり、自分の子供がつつがなく必要とされる知識・技術を修めて卒業し、社会に出してくれるような姿を期待しているのです。
大学の存在意義と将来展望の議論を
 このように大学教育の意義そのものが、私のきわめて個人的な四〇年間の変化として振り返って見ても、社会・国家的な意義から、学問領域、学界における意義へ、そして個人の鍛錬の場としての意義へと変容してきているのではないでしょうか。そしてこれからの将来において、大学教育の意義はどの様になって行くのでしょうか。数年前大学が法人化されたとき、大学の評価や改革ということがさんざん言われましたが、大学がこれまで担ってきた存在意義が結局どうであったかについての議論はされなかったように思われます。そしてこの見地に立っての議論と将来展望がいま大変必要とされている時代ではないかと思えるのです。
 
小野 高幸 小野 高幸(おの たかゆき)
1950年生まれ
東北大学大学院理学研究科 教授
専門/惑星プラズマ物理学
http://stpp1.geophys.tohoku.ac.jp


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