―私と紙飛行機―二宮 康明

 私は1926(大正15)年、仙台に生まれて、幼い頃から飛行機が大好きでした。仙台一中(旧制)に入ってから私の飛行機好きは本格的になりました。当時「一中航究会」というサークルがあって入会し、ここでは放課後、本物のグライダーの訓練、テニスコートで紙飛行機を飛ばしたり、教室で「飛行の原理」の論議をするなど、私にとっては楽しい会でした。この紙飛行機は普通の折り紙ではなく、曲げ強度の高いケント紙などを切り抜いて何枚も貼り合わせたもので、この頃に現在の私の紙飛行機の基本が出来つつありました。
グランプリを受賞した紙飛行機(同型機)
 1945(昭和20)年に敗戦により航空禁止となり、代わりに無線の分野に興味が深まり東北大学の通信工学科に学び、卒論は少しでも空に近い、アンテナの研究をやらせて下さる内田英成先生の研究室に入れていただきました。卒業して現在のNTT電気通信研究所に入所しました。
 1966(昭和41)年12月の朝日新聞の「青鉛筆」という小さい欄に、米国で翌年1月に世界で初めて国際紙飛行機大会が計画されているという記事を妻が発見しました。中学の頃の紙飛行機を思い出して競技用機を作り、テスト、改良をして米国に送り、これがサンフランシスコ大会で滞空時間と飛行距離の2種目で1位となりグランプリを受賞したのです。
 その年から少年向け科学雑誌『子供の科学』に依頼され、附録に紙飛行機をデザインすることになって、これが愛好者の皆さんに支えられて現在まで続き、2007年9月には掲載40周年を迎えることができました。また、これと並行して日本全国約40ヶ所で予選ののち決勝を行なう紙飛行機ジャパンカップを主催して2008年で15回を迎えます。
 私には紙飛行機にこだわる理由があります。その1は、この形式の紙飛行機は日本生まれなので、我々がプライドをもって育て上げなければと思うのです。その2は、NTT研究所を20年ほど前に退職してから、紙飛行機は1人で出来る丁度よい研究テーマだというのが理由です。
 現在82歳ですが、朝起きるとまず天気予報をチェックして、自宅から25kmほどはなれた原っぱ公園に車で行き、8時前には紙飛行機のテストを始めます。このようにして風の静かな日は欠かさず、実験をねばり強く続けていますが、これは東北大学流だなと思うことがあります。年少の頃の願いがわずかですが実現できたと感じています。どうぞ読者の皆様も夢を大切に育てて下さい。


INFORMATION in '08 Summer

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