私は、私の人生の約半分を東北大学医学部で過ごしました。1947年に東北帝國大学医学部産科婦人科学教室に入局してから、東北大学を停年で退職するまで40年間が経過しました。この間の約10年間は、新潟大学医学部教授在職や外国留学のため、実際に東北大学のキャンパス内で勉強させて頂いた期間は30年間です。
この間、良き恩師に恵まれたことは、私の生涯の好運でした。大学医学部卒業直後は、本川弘一教授の医学部生理学教室に入り、医学研究の行い方を習いました。本川教授はその後に東北大学学長(今の総長)となられました。医学部産婦人科学は、篠田糺教授(その後に岩手医科大学の学長および理事長となられました)並びに、九嶋勝司教授(その後に秋田大学長にご就任されました)から医学に関する教育をうけ、医師としてのあり方を学びました。
東北大学は創立以来、約百年の歴史を有し、わが国でも最も古い大学の一つです。職員定員は約5千人、学生数も学部は約1万人、大学院定員は約6千人と多数を占めております。大学院数・学部数・附属研究所数も多く、私にはその組織の全容を知ることは簡単ではありません。グローバルな立場から見れば、東北大学は外国にもよく知られており高く評価されております。社会に実際に役立つ良い研究を行う為に、また、人類や国家のために役立つ優れた人材を養成するには、この東北大学のような巨大な組織が背景にあることが大切だと信じております。
医学の特定の診療を行うにあたって、倫理委員会で道義的・社会的・学術的に検討してから、診療する方式の必要性については、外国でもわが国でも以前から言われてきました。しかし、実在する患者さんに対して、倫理規程を学会が作り、かつ、倫理委員会の議を経た後に診療を行ったのは、東北大学で行った(日本の第1例目の)体外受精の診療が初めてだと思います(1982年)。
体外受精は、わが国では現在、6百を越える施設が実施しております。日本の政府は、体外受精などに対する補助金の制度(特定不妊治療助成)を作りました。今から、25年前には、医師・看護師をはじめとして、ほとんどの日本人は、体外受精に反対しており、現在とは正反対の社会情勢でした。
当時は外国でも体外受精成功例は希であり、治療に応用できる状態ではありませんでした。体外受精には、麻酔科の協力が不可欠ですが、東北大学以外の国内の大学では、麻酔科の協力も、大学の医学部内の協力も得ることも困難でした。新聞・テレビで体外受精が批判されても、東北大学の教授会はおおらかであり、我々を支援してくれました。日本で初めての体外受精の成功は、東北大学以外では出来なかったことも、東北大学が持つ天性にあると思い感謝いたしております。
今後とも有能な多数の学生諸君が東北大学を受験し、わが国のため人類のために役立つ人材が巣立っていくことを願っております。
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