シリーズ「遺伝子」4
遺伝子と社会行動

西森 克彦=文
text by Katsuhiko Nishimori

 ヒトの遺伝を考えた時、姿形だけでなくその性格までも親に似る例が多い経験から、動物の性格や行動パターンが遺伝子に依存している可能性は充分想像できることです。今回は、哺乳動物の種ごとで性格が異なり独特の社会行動や生殖行動の習慣を持つことが、オキシトシン(OT) とバソプレッシン(AVP)というホルモンとその受容体(注)遺伝子により制御されているという研究についてご紹介します。
 OTとAVPは、ともにたった9アミノ酸からなる小さなペプチドホルモンです。これらは、主に脳のホルモン分泌器官である下垂体から血液中に放出されます。OTは子宮筋を収縮させ分娩を起こす機能と乳腺から乳汁を出す機能を持っています。また、OTとわずか2アミノ酸だけ異なるAVPは、腎臓に働きかけ、尿中の塩類濃度を制御して体液濃度を調整する機能を持ちます。OT・AVPに類似したホルモンは脊椎動物から無脊椎動物に至る広い動物種で発見され、生殖器官と生殖行動を制御する類似の機能を有することが知られています。哺乳動物のOT・AVP も、実は生殖のコントロール因子として動物の行動をも制御するホルモンであることがわかってきました。
 動物の社会行動を分類してみると、集団への帰属行動、生殖行動、情報の交換行動、同種他個体への攻撃行動などに分けて考えることができます。こうした社会行動は種の維持にも必須ですので、これらを制御している遺伝子があれば、保存され進化することが予想されます。
 社会行動の制御遺伝子の研究は、近縁な動物種でありながらその社会行動の大きく異なる亜種同士の比較研究から始まり、遺伝子・分子レベルに達しつつあります。なかでも研究の進んでいるOT・AVPが生殖・社会行動制御において果たす基本的な役割は、異なる種間でも基本的に良く保存されており、OT・AVPは、雄の生殖行動や雌の保育行動などを制御している主要な因子の1つと理解されるに至っています。
 これに関連して、北アメリカに生息し、異なる生殖・社会行動を見せるハタネズミ亜種の比較研究は、OT・AVPが生殖・社会行動で果たす役割について大変興味深い成果をもたらしています。草原ハタネズミは一夫一妻制の、またヤマハタネズミは一夫多妻制の社会行動を示しますが、この原因が脳内でのOT受容体(OTR)とAVP受容体(VPR)の発現分布の大きな差によることがわかってきました。私たちが創ったOT遺伝子ノックアウト(KO)マウス(遺伝子組替えによりOTができないマウス)とOTR遺伝子KOマウス(同じくOTRができないマウス)も、野性型の雌とは違って乳汁がでないという予想通りの実験結果を示す一方、分娩については必ずしもOT/OTRが必要ではないという予想外の結果が出ました。そして、これらはいずれも興味深い社会行動異常の症状を示しました。
 卵巣を除去して中性化した雌マウスを雄マウスのケージに入れると、通常雄マウスは闖入者が誰なのか一定時間臭いを嗅ぐ嗅覚調査行動を続けます。1分間の同居の後、両者を引き離し10分後に同じ雌をまた同じ雄のケージに入れると、野生型雄マウスでは臭いで相手を思い出し初回より短い時間しかこの嗅覚調査行動を取りません。
 しかし、OT遺伝子KOマウスとOTR遺伝子KOマウスは、いずれも野生型雄マウスよりも長時間の調査行動を繰り返しました。詳しく調べた結果、これは嗅覚の異常ではなく、その個体が他個体を識別記憶できていない症状(社会的健忘症)と推定されました。
 ヒトが他人を認識する際のしくみの一部としてOT・AVPシステムが働いていると想像することは、あながち無理な発想ではありません。浮気性や人見知りの強弱などの性格が脳内でのOTR・VPR遺伝子の発現領域の違いに起因している可能性も考えられ、浮気“性”も浮気“症”という病気かも知れないのです。OTR ・VPR 遺伝子の脳内発現パターンを検査することで、自分のフィアンセの“浮気度”が婚前チェック出来るようになるかもしれませんね・・・

オキシトシン受容体遺伝子
欠損マウス
野生型マウス
(図)オキシトシン受容体遺伝子欠損マウスの脳切片
    では放射能ラベルしたオキシトシンの結合は見ら
    れません。

(注)受容体とは細胞膜にあって、ホルモンがそれに結合すると細胞の内側に信号を送り、
   遺伝子の発現や細胞増殖の開始/停止などの反応をもたらす蛋白質のこと。


にしもり かつひこ

1953年生まれ
現職:東北大学農学研究
   分子生物学分野 教授
専門:農芸化学、分子生物学


東北大学出版会だより
 前号の本欄で新刊のご紹介をしてから、東北大学出版会はさらに7点の新刊を刊行しました。10月はじめには事務局の廊下に本が溢れるほどの、嬉しい経験をいたしました。そのなかから今回は6点をご紹介いたします。
 中村維男氏(東北大学教授)編著『情報技術と社会』(1,500円)は情報化社会の新しい問題を、情報技術の基本を論じた上で分かり易く解説しています。『西洋美術への招待』(1,905円、田中英道氏(東北大学教授)監修)は、西洋美術とは何か、それを学ぶ意義はなにかという基本的な問いに執筆者たちが真摯に取り組んだ書です。この2点は教科書として企画され、後者は東北大学研究教育振興財団から助成金をいただきました。『体験と認識 ―ヴィルヘルム・ヴント自伝―』(2,800円、川村宣元、石田幸平訳)は、本学にも縁のある実験心理学の創始者、碩学ヴントの自伝です。広範な関心と旺盛な知的好奇心の持ち主であった著者ならではの多様な体験と深い認識が、読む者を瞠目させることでしょう。大泉一貫氏(宮城大学教授)著『大衆消費社会の食料・農業・農村政策』(3,000円)は、我が国の食料・農業問題を掘り下げ、解決のビジョンを提示しています。『血痕鑑定と刑事裁判』(1,900円、田中輝和東北学院大学教授著)は、いわゆる東北の三大再審無罪事件(弘前、青森、松山の各事件)に共通する誤判原因の解明を目指して、法学の側からはじめて深く掘り下げた書です。『まなびの杜〈東北大学〉知的探検のススメ』(1,500円、「まなびの杜」編集委員会編)は、本誌をまとめたものですが、市民に東北大学をもっと知っていただくためのバラエティ豊かな案内書です。知的探検を楽しむ一助として、さらに東北大学をのぞく窓としてぜひご覧ください。
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