2002年ノーベル化学賞受賞、おめでとうございます!

田中耕一氏の栄誉ある軌跡


田中耕一氏
プロフィール
1978年 3月 富山県立富山中部高等学校卒業
1983年 3月 東北大学工学部電気工学科卒業
1983年 4月(株) 島津製作所入社
2002年11月 フェロー

 スウェーデン王立科学アカデミーの2002年ノーベル化学賞は田中耕一さん(島津製作所・東北大学工学部電気工学科卒)へ授与されました。本年度は、田中氏の快挙とともにノーベル物理学賞が東大名誉教授・小柴昌俊さんに贈られることとなり、日本中が明るい話題に沸きました。とりわけ、企業エンジニアである田中さんの栄誉は、若手研究者はもとより多くの人々が勇気づけられ励みになるニュースとして注目を集めました。

 

東北大学訪問

世界最高の称賛
「ノーベル賞」授与

 ノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの遺言に基づき1901年に創設。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学の六部門で構成されています。今年度のノーベル化学賞の研究テーマは、「生体高分子の固定および構造解析のための手法の開発」です。その対象となる「生体高分子の質量分析法のための穏和な脱着イオン化法の開発」を手がけた田中さんに授賞が決定しました。
 タンパク質を詳細に分析できることにより、生命のプロセスをよりよく理解できるとともに、食品検査やガンの早期診断など多くの応用の可能性が報告され、この研究が高い評価を得たのでした。
 田中さんは、授賞決定後まもなくの10月30日、母校の東北大学を訪問。多くの教職員、学生に拍手をもって迎えられ、東北大学初のノーベル賞受賞者に心からの賛辞の声が寄せられました。


東北大学名誉博士号の授与
 田中さんの業績が学術文化の発展に貢献し、また教育研究へ多大に寄与したことを考慮し、東北大学では田中さんに名誉博士の称号を授与することとなりました。
 平成14年10月31日に、遠山敦子文部科学大臣のご臨席の下、学位記授与式が行われ、田中さんは晴れて東北大学名誉博士号を手にされました。
 また、東北大学は田中さんへ客員教授に就任されることを要請。田中さんはこれを快く承諾され、東北大学の研究・教育の大きな牽引力となることが期待されます。

名誉博士記授与
(左:阿部博之前総長 右:遠山大臣)


田中耕一さんコメント
実学を大切にする研究風土・東北大学
 私は1983年に東北大学電気工学科を卒業後、株式会社島津製作所へ入社、中央研究所で仕事を始めました。駆け出しの一電気技術者だった私は、数人のグループとともに質量分析装置の開発に従事したのです。87年に偶然のきっかけで「生体高分子の質量分析を可能にする方法」を見いだすことができたのですが、まさかこれがノーベル賞授賞対象になるとは、自分でも信じられない驚きであり、この上ない喜びです。これも、上司やグループの皆さんのご協力のおかげであると感謝にたえません。
 東北大学は、本多光太郎先生、八木秀次先生、西澤潤一先生など、多くの実学の研究者を輩出しています。その自由で、実学に役立つ研究を大切にする学風を学んだことが、私の研究を後押ししてくれたものと思っています。
 私は、自分が化学者だとは考えていません。一人のエンジニアだと考えています。今後とも、この領域の研究・開発に励むとともに、会社と大学などの外部研究機関との橋渡し的な立場で、広い意味でのバイオエンジニアリングの発展に貢献できればいいと考えています。
                     (受賞決定後の安達三郎名誉教授との談話より抜粋)

田中耕一氏の業績/研究紹介
「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法」
後藤 順一=文
text by Junichi Goto

 この度の田中耕一東北大学名誉博士のノーベル化学賞受賞を心からお祝い申し上げます。私は、1980年頃より質量分析法を用いてライフサイエンス研究を行っており、その関係で学会、研究会などで田中博士と意見交換する機会に恵まれました。しかも最近では、博士の研究成果を大いに利用していることもあって、この度の受賞を大変に感慨深く感じています。
 質量分析法は、医薬品や環境ホルモンをはじめ多くの生理活性物質の測定に広く利用され

MALDIによるイオン化
サンプルホルダー上の試料

ています。この方法では、試料は気化しており、しかもイオン化していることが不可欠となります。これまでは、まず試料を加熱して気化し、次いで熱電子を照射するなどいろいろな方法でイオン化し、その質量の大きさに応じて分離分析(これを質量分析という)するというのが基本的な考えでした。このため、分子量で言えば約1,000以下の低分子化合物(ほとんどの医薬品がこれに含まれます)で、しかも気化しやすい物質のみが測定の対象であり、水に溶けやすい物質、熱安定性に欠ける物質の測定は無理でした。まして、分子量が何万、何十万という蛋白質を測定することなどは、とても考えられませんでした。
 田中博士は、こうした問題を根本から解決するマトリックス支援レーザー脱離イオン化法(matrix assisted laser desorption/ionization、MALDI)と呼ぶ新しいイオン化法を提案しました。一般に固体あるいは液体状態にある有機化合物を高温に熱すると多くの場合分解してしまいますが、レーザー光を照射して瞬時に数千度という高温にすると分解せずに気体になります。しかし、レーザー光を効率良く吸収する化合物のみにしか適用ができません。ところが、このレーザー光を吸収しやすい化合物(これを現在ではマトリックスと総称)の中に微量の他の化合物(試料)を加えておくと、試料の気化が効率良く起こるようになります。この結果分子量300,000という蛋白質をも気化させ、質量分析により測定することができるようになります。これがMALDIです。実際には、レーザー光を吸収しやすい化合物と試料とを約100:一〜10,000:1に混ぜた混合物に、1ナノ秒(ナノは10億分の1)程度のパルスで数ミクロンに集光したレーザー光を照射します。そうすると、表面から深さ数ミクロン、直径10〜100ミクロンという狭い範囲が、数10ナノ秒以内で数千度にまで急速に加熱され、この結果試料は気化され、イオン化されます。試料は直接レーザー光のエネルギーを受けるわけではないので分解することがありません。
 このように田中博士が考案したイオン化法MALDIは、これまで全く出来ないとされた蛋白質をはじめとする高分子化合物の質量分析を可能にし、生命科学研究に大変に大きな波及効果を与えました。一例をあげてみましょう。蛋白質をいったん酵素によって分子量2,000〜5,000程度のペプチドに断片化し、その混合物をMALDIにより測定します。一方、ゲノム解析により動植物の蛋白質の塩基配列が明らかにされており、その情報に基づいた理論的なアミノ酸配列がわかっています。そこで測定から得られた蛋白質とペプチド断片の分子量をデータベースで解析することによって、簡単に一次構造が決定できます。これまでは、蛋白質の構造解析には何年もかかっていましたが、試料さえ手に入れば数日という短期間で、しかも必要とする試料量も100万分の1以下(ナノ〜マイクログラム程度)という極微量でできるようになりました。このおかげで最近注目されている新規研究領域、蛋白質の機能と構造を網羅的に解析しようとするプロテオーム研究が可能となったわけです。今後、老化をはじめ生命現象を解明し、新たな医薬品を創製する上でMALDIがより一層大きく貢献することは間違いありません。
 このようなすばらしい方法を開発され、ノーベル賞を受賞された田中博士が東北大学出身者であることに大きな誇りを感じています。


ごとう じゅんいち

1944年生まれ
現職:東北大学医学部附属病院教授、薬剤部長
専門:臨床分析化学、病態分子薬学



田中耕一君の思い出  指導教官・東北大学名誉教授 安達三郎

 大学時代の田中君は、常に物静かで、研究室の学生たちと愉快に騒ぐことは少なかったと思います。といって無口でもなく、指導教官である私によく相談に来る学生でした。率直で、人懐っこい性格は今も変わらないようです。
 田中君は、教養部でドイツ語の単位を落とし1年留年したことがこたえたようです。それで成績は良くなかったと本人は思っているようですが、実は彼は学部では立派な優等生であったのが事実です。電気技術者としての基礎学力をしっかり持っていたと申せましょう。 
 彼の卒業研究を指導した博士課程のある大学院生は、「田中君は自分の考えをなかなか変えず、閉口した」と言っていました。自分で納得するまで引かない性格のようで、その後納得して夜中の三時頃まで頑張って仕事をやり遂げたそうです。
 就職して2〜3年後に田中君がリクル−ト活動で研究室を訪れた時、「会社でどんなことをやっているの」とたずねたら、彼は「たとえ先生でも企業秘密で申せません」と答えたそうです。私はすっかり忘れていましたが。


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