津波災害は繰り返す
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今から3500年前、エーゲ海で巨大な津波が発生し、これによる災害はクレタ文化圏に
大きな衝撃を与えたとされています。いくつもの文明が興亡した後の現在でも、それが土地 の言い伝えとなって残されています。我が国でも、各地に津波災害が伝承され、惨禍は教訓
として語り継がれています。陸奥国府に津波が襲来したとする9世紀後葉の記録が残されて おり、この歴史上の津波を、最先端の地球科学により解明することにしましょう。 |
津波災害の痕跡
北と南から流下する北上川・阿武隈川と奥羽脊梁山脈に起源する数条の河川による埋積作用によって、 仙台平野は作られました。良く知られていますように、伊達政宗の仙台開府以来、
平野の後背湿地をひたすら排水することにより、現在の広大な耕地が開拓されました。 記述にあるように仙台平野に貞観の津波が押し寄せていれば、年代論的に、 耕地の下に津波の溯上が痕跡として残されていることになります。
この期待を持って発掘を試みたところ、厚さ数pの砂の層が仙台平野の広範囲にわたって分布 している事実が明らかにされました。様々な地球科学的分析により、砂は津波によって運ばれ堆積
したと結論されました。地層に含まれる木片の放射性炭素年代は、砂層の堆積年代が貞観の時代を 示唆しています。す同様の砂層が相馬市でも発見され、津波堆積層の広がりから正史の記録に誇張
はないと判断され、津波は仙台平野を水浸しにしたのは事実のようです。
最近、多賀城市埋蔵文化財調査センターにより、市川橋遺跡から9世紀後葉の大規模な津波災害 の跡が発掘されたと報じられました。この発見により、多賀の国府城下に貞観の津波が押し寄せて
大きな被害が発生した事実が、明らかとなりました。歴史上の津波災害の実態が学際的な研究を通 して解明される事例を、貞観の事件にみることができました。
津波災害の再来
津波発生の理工学的解析を今村文彦災害制御研究センター教授と共同で試み、貞観津波の数値的復元に成功しました。 これにより、仙台平野の海岸で最大で9mに達する到達波が、7・8分間隔で繰り返し襲来したと推定されました。
相馬市の海岸には更に規模の大きな津波が襲来したようです。将来予測は、科学の最大目的の1つです。 大きな津波が仙台湾沖で将来発生する可能性があるとして、
その時期は何時頃でしょうか。再来予測を可能にする科学的根拠を再び地質学に求めることができます。
仙台平野の表層堆積物中に厚さ数pの砂層が3層確認され、1番上位は貞観の津波堆積物です。 他のいずれも、同様の起源を有し、津波の堆積物です。放射性炭素を用いて年代を測定したところ、
過去3000年間に3度、津波が溯上したと試算されました。これらのうち先史時代と推定される2つの津波は、 堆積物分布域の広がりから、規模が貞観津波に匹敵すると推察されます。
津波堆積物の周期性と堆積物年代測定結果から、津波による海水の溯上が800年から1100年に1度発生していると 推定されました。貞観津波の襲来から既に1100年余の時が経ており、津波による堆積作用の周期性を考慮するならば、
仙台湾沖で巨大な津波が発生する可能性が懸念されます。
伝承や文献記録の内容が全て真実であるとは限りません。しかしながら、1100年余の時を経て語り継がれた 仙台平員長野での災害の発生は、幸運にも、津波の科学的研究を通してその正当性が実証されました。こうした
破壊的な災害には、数世代を経ても、あるいは遭遇しないかもしれません。
しかし、海岸域の開発が急速に進みつつある現在、津波災害への憂いを常に自覚しなくてはなりません。 歴史上の事件と同様、津波の災害も繰り返すのです。