[研究室からの手紙]

ヨーロッパ統合で見落としがちなこと

連帯と地方分権化への潮流
大 西   仁=文
text by Hitoshi Onishi




 ヨーロッパでは、現在、15カ国が加盟するEU(ヨーロッパ連合)が政治・経済統合を進めており、統一通貨であるユーロの発行も目前に迫ってきました。EUは将来「ヨーロッパ合衆国」の設立をめざすと謳っていますが、これが実現されれば、ヨーロッパに4億近い人口を擁する統一連邦国家が誕生することになります。
 さて、ヨーロッパ統合については、日本でもマス・メディアで何かと話題になっていますが、ここでは、ヨーロッパ統合に関して、日本では見落とされがちな2つの点について述べてみたいと思います。
 下の写真をご覧ください。どこの国の旗だかわかりますか。上半分が白、下半分が緑、そこに赤いドラゴン(竜)の図柄。これはウェールズの「国旗」です。スポーツの国際試合では、ちょうど日本のナショナル・チームが出場して応援の日の丸の旗が振られるように、ウェールズのナショナル・チームが出場し、応援にこの赤いドラゴンの「国旗」が振られます。
 ウェールズは国ではないではないかと思う方がいるかもしれません。確かにウェールズは、かつては独立国家でしたが、現在では日本でいえば東北地方というように、イギリスという主権国家の中の一地方に過ぎません。ところが、ウェールズには、近年、大幅な権限をもつ議会ができ、英語と全く異なった言語であるウェールズ語の道路標識が立てられ、駅では英語とウェールズ語の両方のアナウンスが行われています。そして、この赤いドラゴンの旗が至る所にひるがえり、ウェールズは独立国家に近い存在になりつつあります。
 これは何もウェールズに限ったことではなく、ヨーロッパの各地方では自治が強まり、伝統文化の復興が盛んになっています。つまり、現在のヨーロッパでは、統一に向かう動きと並行して、地方分権化の動きも進んでいるのです。したがって、ヨーロッパ統合が進んだからといって、ヨーロッパは、将来、巨大なのっぺりとした顔をもつようになるのではなく、それぞれの地方が強い個性と政治権力をもつ、複雑な様相を帯びることになるでしょう。
 もう1つ見落としがちなことがあります。それは、ヨーロッパ統合が、ヨーロッパが厳しい国際経済競争を勝ち抜くためには、アメリカに匹敵する規模の経済単位にならなければならないという経済的動機によってだけ支えられているのではなく、次の2つの政治的動機によっても強く推進されているという点です。
 第1に、近代においてヨーロッパは数々の戦争を繰り返し、特に今世紀には2度の大戦の主戦場となり、厖大な数の犠牲者を出しました。その結果、第二次世界大戦後には、ヨーロッパで再び戦争を起こさないためには、ヨーロッパの諸国民国家を廃して、「ヨーロッパ連邦」を建設しなければならないという考えが強くなりました。これが現在に至るまで、ヨーロッパ統合を推進する大きな力として働いています。
 第2に、反ナチズム・反ファシズムということがあります。第二次大戦中に「統一ヨーロッパ」はナチの軍事力によっていったんほぼ実現しました。そこでヨーロッパ各地には、ナチ支配の打倒をめざすレジスタンス運動が起こりました。第二次大戦後にヨーロッパ連邦を建設しようという運動は、主として、この反ナチのレジスタンス運動の中から生れました。このため、現在でも、ヨーロッパ統合の最も大切な目的は、ヨーロッパに再びナチズムやファシズムが台頭するのを防ぎ、人権擁護の確かな保障を実現することにあると考える人が少なくありません。
 「ヨーロッパ人」というアイデンティティの中核として、ややもすると「キリスト教」とか「ギリシア・ローマ文明」というような伝統的精神ばかりが注目されがちですが、ナチズムやファシズムと闘ったという生々しい経験こそが、現代のヨーロッパ人の連帯の最も確かなバックボーンをなしていることを忘れてはならないでしょう。そして、そのような経験があったからこそ、ヨーロッパ統合はこれからも力強い足取りで進んでいくことでしょう。

おおにし ひとし
1949年生まれ
東北大学法学部教授
専門:国際政治学