写真は、昭和3年(1928)に行われた東北帝国大学文芸部主催による講演会後に撮影したものです。講演を行った斎藤茂吉と柳田國男を、当時文芸部長をつとめていた阿部次郎らの教授陣と、文芸部の学生たちが囲んでいます。
大正末から昭和にかけての学生たちは、哲学や文学を通じて人格の完成を図るという、いわゆる「教養主義」文化の強い影響下にありました。大正11年(1922)の法文学部設置に伴い、東北帝国大学にはこの「教養主義」のリーダーである阿部次郎や小宮豊隆といった知識人が赴任します。
当時の教授は学生との自宅面会日を設けていましたが、特に阿部や小宮の面会日には、専門を問わず、理系学生も含む多くの学生が集まり、自由な語らいが深夜まで行われました。また木下杢太郎のペンネームで知られる医学者太田正雄のもとでは、医学部生による「鴎外の会」という読書会がのちに開かれます。左翼学生の「善導」という建前で始まったこの会の実質もやはり、鴎外を通じヒューマニズムを学ぼうとする「教養」の会でした。
昭和初期、教師と学生の語らいの中で展開された東北大生の教養文化。文系・理系を問わず当時の多くの学生が、この香りを味わいながら、学都仙台での学生生活を送ったのです。
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