言葉が世界を開く |
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私が、大学で何を研究して教えているかと聞かれたとき、「言語学」と答えると、とまどってしまう人が少なくありません。言語を「研究」することは、案外と身近なものではないようです。しかし、考えてみれば、言語はヒトである私たちを他の動物と区別する最も重要な特徴です。人間が築いてきた文化、私たちの今の暮らしは全て、言語がなければ成り立たないものです。それだけに言語はヒトにとって根本的なものです。ただ、実学的である工学あるいは医学のように、言語研究の成果によって私たちの生活が大きく影響されたり、物理学の研究で発見されたことによって人々の世界観・宇宙観が大きく変わったりするものではありませんので、言語学は普段なかなか脚光を浴びません。ですから、私は本欄を借りて、言語学では何が研究され、どんな意義を持つかを簡単に紹介したいと思います。 言語学の中心にあるのは、言語構造(音声と文法)の解明です。20世紀最大の言語学者と言われるN・チョムスキーによれば、ヒトには特徴的な生まれつきの言語能力があり、そのため2〜3歳の子供があっという間に言語を習得できるのです。この習得能力は実に驚くべきものです。私たちの職業や社会的立場に関わらず、一人一人が完璧に自分の「母語」を話すことができます。しかも、世界の人々は、たとえ教育を受けられなくて文字を読めない人までも、完璧に、一つの母語を話すことができます。その言語の体系もまた一つ一つ、その国や民族の経済力などに格差があったとしても、優劣をつけられない完全なものです。 生まれつきの言語能力の中身としては、チョムスキーはコンピュータプログラムのような計算的なものを想定していました。しかし、近年になって、このような見方は疑問視され始めています。まず、研究者は次第に言語の多様性を知るようになりました。世界に存在する4000〜6000ぐらいの言語の構造が多様すぎて、限られたパラメータが設定できるコンピュータプログラムのようにはとても説明できません。また、言語は頭の中にあるだけではなく、社会の中で生まれ、社会の中で学ばれていることも注目されます。特別な言語能力がなくても、ヒトの一般的な認知能力からだけでも、親などとのやり取りで習得が出来ると考えられるようになりました。 世界の言語の過半数は、今後100年以内になくなると推定されています。つまり、1年間に約20言語のペースで、世界から言語と文化が消えていきます。日本でもアイヌ語が絶滅状態に近く、琉球語も絶滅が危ぶまれます。鳥など動物の絶滅がよく新聞で取り上げられますが、人の言語と文化の「死」は不思議なことにほとんど脚光を浴びません。それは、絶滅するのは、必ず国の中の少数民族の言語と文化であり、つまり多数にとっては同情が及ばない「他者」であるからです。こうした多様な言語の記録と保存も言語学の一つの重要な役割です。 言語学には身近な応用もあります。外国語教育はその一例です。第2言語習得と外国語教育の研究は1960年代に本格的に始まり、まだ歴史の浅い分野です。その成果に基づいた外国語教育は欧米で着実に進んでいますが、日本の教育機関ではまだ研究成果を踏まえた語学教育は比較的少なく、教育の合理化を目的としたコンピュータによる教育の導入ばかりが目立ちます。今後は、学習の質と内容を重視した研究教育の発展も期待したいものです。
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ナロック・ハイコ |