皆さんは、歯を磨かれるときに鏡でお口の中をじっくりご覧になられたことがありますか。まず目に飛び込んでくるのは歯です。歯の表面に汚れ(デンタルプラーク)が付いていないか、虫歯がないかを確認して、ついこれで終わりになりがちです。でもちょっと待ってください、まだ歯ぐきがありますね。歯と歯ぐき(歯肉)の境目付近をよく見てください。赤く腫れたり、血がにじんでいたり、あるいは膿みが出たりしていませんか。もしこんな症状があるようでしたら歯周病の疑いがあります。“歯周病”
、“歯周病原菌”、最近テレビのCMなどでよく聞く言葉ですが、歯周病とはどんな病気なのでしょうか。ということで、今回は歯周病の研究についてのお話です。
歯周病の原因は“デンタルプラーク”
歯周病は、歯肉やその中にある骨など歯を支えている組織(歯周組織といいます)が破壊されていく病気です。この病気の原因は歯の汚れ、すなわち”デンタルプラーク“です。
大体デンタルプラーク1mg中に一億〜百億個の細菌が含まれており、歯科領域における二大細菌感染症の一つです。ちなみにもう一つは虫歯(う蝕)ですが、これも同じくデンタルプラークが原因です。プラークの中には多くの種類の細菌が含まれ、それぞれ異なった種類の細菌が関係しています。歯周病原菌とは、プラークの中でも歯と歯ぐきの隙間(病気の状態では歯周ポケットと呼びます)に棲息しており、歯周病の発症・進行に特に関わりが深い細菌群のことです(図1参照)。
さて、歯周病や虫歯はいつ頃からある病気でしょうか。紀元前15〜10世紀のエジプトのミイラにも歯周病とその治療痕が見つかっており、この時代から歯周病がエジプト人に存在しており、しかも歯医者がいたことがわかっています。また、メソポタミア文明のハムラビ法典にも歯科開業が定められており、大体これまで四千年前には歯医者がいたとされてきました。ところが、2006年の4月にイギリスの科学誌『ネイチャー』に発表された論文で、その歴史は一気に九千年前まで遡ることになりました。石器で歯を削っていたということですので、どんなに痛かったことでしょう。その後文明が進むと柔らかい食物を摂る機会が多くなり、特に近世の先進国では砂糖の摂取量が増えたことにより、爆発的に虫歯や歯周病の罹患率が高くなりました。
一方、最近では予防の概念が進み、特にフィンランドなどの北欧諸国ではこれらの病気の患者さんは減ってきています。日本では歯周病に罹っている患者さんの数は現在、どれくらいおられるでしょうか。5〜6年毎に行われる歯科疾患実態調査の最近のもの(1999年)では、およそ成人の73%くらいが歯周病(歯周炎という重症の状態)に罹っており、しかも10〜20代の若年者の約60%にその初期症状である歯肉炎がみられます。つまり、歯周病はまだまだ制圧されていない病気なのです。そればかりか、最近では歯周病と全身の病気の新たな関係が明らかにされてきています。
歯周病の原因とそれに関わる研究の展開
さて、もう一度図1をご覧下さい。歯周病で歯を失う原因は歯を支えている骨が溶かされてしまうことですので、なぜ歯周病原菌によって骨のこの病気が進行するのかをまとめてみました。すなわち、これらの細菌の持つ毒素が直接骨を壊す細胞(破骨細胞)に働きかけるばかりでなく、歯周病原菌に対して生じた免疫応答によっても骨が壊されていくことになります。本来、免疫応答はヒトの体を守るシステムですので、局所的に何らかの原因でスイッチが過剰に入っている可能性が想定されます。
そこで、私たちの研究室では、このような歯周病原菌に対する免疫応答がどのように誘導されるかについての研究を行っています。特に着目しているのは樹状細胞で、この細胞は免疫応答の開始に重要な役割を担います。これまでにある種の歯周病原菌由来の菌体物質によって特異な樹状細胞の集団を誘導することがわかり、興味深いことに同じ集団がエイズや敗血症などの慢性感染症でも出現しています。今、この集団がどのような機能を持ち、免疫応答をどのように変化させるのかについて解析を進めています。
歯周病と全身の双方向の関係、そしてそのメカニズムは
以前から糖尿病などの全身の病気があると、歯周病が進行しやすいことはよく知られていました。ところが最近、これとは逆に、歯周炎が心筋梗塞や狭心症といった心血管疾患、糖尿病の抵抗性や低体重児早産といった全身の病気や状態のリスク因子になるという新たな関係があることが疫学調査で報告されるようになってきました。
現在、日本を含む世界中の研究室でこの双方向の関係がなぜ生じるのかについての研究が進められています。その結果、先に述べた歯周病原菌が歯周病の病巣から血行の中に侵入することや歯周病巣で過剰に生じた免疫応答が原因になる可能性が推測されています。
私たちの研究室では主にラット(ネズミ)を用いた解析を進めています。普通、ネズミは歯周病を起こしませんが、歯の周りを糸で縛るか、ゴム輪を巻いてやると骨が破壊されて病気の状態になります。この実験モデルを使って調べたところ、単に歯の周りを糸で縛るだけではなく、そこにネズミにはいないヒトの歯周病原菌を感染させてやると、ネズミの血中脂肪濃度が変動するなど全身状態に変化がみられることがわかってきました。また逆に糖尿病を遺伝的に発症するラットを用いて、糖尿病でなぜ歯周病が進行し易いのかについてのメカニズムを分子レベルで解析しています。
完全に健康な歯周組織を取り戻す再生をめざして
医師や歯科医師が病気を治療する最終の目標は、患者さんが元通りの完全に健康な状態を取り戻してもらうことにあります。ところが、歯科医師が治療の対象にしているのは、主に歯や骨といった硬い組織です。例えば虫歯を除いて金属を詰めた状態を思い浮かべてください。この場合、機能的に正常ですが、人工物で歯の代用をさせるため完全に元の状態ではありません。歯周病の場合、単に歯肉が腫れただけの歯肉炎(軽症)は完全に元通りになりますが、歯を支える骨が破壊され始めた歯周炎(重症)になると、歯ぐきの腫れや歯周ポケットをなくしても、失われた骨をこれまで回復させることができませんでした。
最近では、図2Aに示したように、”歯周組織再生誘導法“と言って特殊な膜や薬を手術のときに併用することによって部分的に骨の再生が可能になりました。しかし、全体的に下がった骨や歯ぐきを元のように回復する技術はまだ開発されていません。失われた体の組織を培養技術やさまざまな生体材料を使って元の健康なものに回復させる医療を再生医療と言います。この歯周組織再生誘導法もまだ不完全ですが、再生医療の一つです。
私たちの研究室では同じく図2Bに示したように、歯周組織の基になる細胞を増殖させる物質と骨そのものを誘導しやすい担体とを組み合わせることにより、完全に健康な歯周組織を再生させる技術の開発をめざした研究を、他の研究室と共同で行っています。
いくら研究が進んで病気が治療できるようになっても、病気にならないにこしたことはありません。すなわち、予防が重要なのですが、歯周病の場合最も簡単にできる予防は歯磨きです。そのことだけはどうぞ忘れないでください。
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