日本人と公正
―社会心理学的アプローチ―
大渕 憲一=文
text by Ken-ichi Ohbuchi

公正と自己利益

 人々の価値観の変化は思いのほかに急なものです。13年ほど前に行われた価値観調査(1992年)を見ると、「豊かさ」や「人権」が上位にランクされ、「公正」は17位でした。高度成長期には、正義や公正を口にすると「青臭い」と言われ、清濁合わせ飲むのが成熟した大人であるといった風潮すらありました。ほんの以前のことなのですが、今から振り返ると、人々の意識の変化には隔世の感があります。近年、社会的公正に対する日本人の関心は明らかに高まっており、今、同種の価値観調査をすると、公正は間違いなくトップ・スリーには入ります。
 国の法律、制度、政策などは正義に基づいて構想され、それらは社会正義を実現するものであると考えられています。以前は、公正や正義が何であるかは、法律や行政の専門家が判断するものであると考えられてきましたが、しかし、現代においては、政治、経済を含め、世の中の事柄の多くは、一般市民の公正判断を無視して進めることは困難です。ただ、専門家の中には一般市民の公正感に疑問を持つ向きもあります。一般の人々は、本当は損得にしか関心はなく、公正や正義は建前なのではないか、というものです。これを、「自己利益」仮説と言います。政策担当者はしばしば、国民に向かって政策の良い面しか言いません。また、選挙の候補者が地元への利益誘導を強調するといったところにも、専門家の一般市民に対するこうした見方が表れています。


公正の絆

 私たちは、これがどの程度真実なのかを調べるために、政策、裁判、あるいは会社組織などについて、一般市民を対象に調査研究をしています。例えば、図は政策評価に関する調査結果を図式化したものです。これをみると、確かに利害関心の影響が強く、人々は自分に得な政策を高く評価する傾向がありました。しかし、弱いけれども、個人的な利害を離れ、政策を公正さの観点から評価しようとする姿勢も見られました。特に興味深かったのは、この図にもありますが、公正判断が国に対する信頼を強めることです。個々の政策の善し悪しは利害の観点から見られることが多いのですが、そうした政策を立案したり、施行する政府を信頼するかどうかということなると、むしろ公正さの方が大事だったのです。
 裁判や会社組織についても同様の結果が得られたことから、私たちは「公正の絆(きずな)」理論を提唱しています。これは、公正が個人を社会に結びつけるという仮説です。政府、裁判所、あるいは会社が公正に機能していると思うと、人々はこれらに対する信頼を強め、国や会社に対する結びつきを強めます。言い換えると、人々はみな、自分が所属しているこの国や会社が公正に運営され、正義が実現される様子を見たいと思っています。そうした願いが満たされるなら、国や会社に対して誇りを感じ、これを守るべき大切なものだと思うようになります。この理論に基づけば、政治家が愛国心を、また、役員が愛社精神を声高に言う必要はありません。国や会社が公正に運営されていることを示すなら、国民や社員の間には、自ずから愛国心、愛社精神が生まれてくるからです。


おおぶち けんいち

1950年生まれ 
現職:東北大学大学院文学研究科 教授 
専門:社会心理学 
http://www.sal.tohoku.ac.jp/psychology/conflict/index-j.html

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