[研究室からの手紙]
       
食べ物と健康のわからないことだらけ
宮澤 陽夫=文
text by Teruo Miyazawa

 私たちの日常生活は、一定の習慣の繰り返しです。食べる、働く、遊ぶ、眠るなどの生活リズムは個人ごとに随分違います。偏食、過食、ダイエットのような不自然な食生活は、習慣になると健康を損なう原因になるでしょう。私たちの研究室では、食べ物がどのように健康に貢献できているのかを知る目的で、ある老化物質の変化を指標に研究を進めてきています。
 食用油は劣化すると酸素を吸収して酸化物が増え、これを食べるとお腹をこわします。同様に、ヒトのからだの組織、細胞にも油(脂質)は含まれていますが、劣化すると老化物質である過酸化脂質になります。このような過酸化脂質の生成は何かの病気に関係するのかもしれません。脳の重さのおよそ半分が脂質といわれますので、脳の老化と脂質の変化にも興味が持たれます。
 15年ほど前ですが、細胞のミトコンドリア膜を構成するリン脂質の過酸化度を計ろうとしました。しかし、当時よく使用されていた手法では目的の分析がまったくできませんでした。そこで、選択性に優れ高感度な手法と装置(写真参照)を開発しました。米国特許の申請ではカリフォルニア大学のグループと測定原理について競争になりましたが、何とかクリアできました。
 原理は、過酸化脂質を特定の化学反応場にさらした時の発光を検出するもので、過酸化構造に特徴的な発光が観察できます。精度の高いフォトンカウンターを使用すれば、血液中の1ナノグラムの過酸化脂質が定量できます。この方法は、現在でも膜リン脂質の過酸化度を定量的に評価できる、ほぼ世界で唯一のものです。

 さて、わかったことは、高脂血症や糖尿病で血清リポタンパク粒子の表面には過酸化を受けたリン脂質が多く、これは粥状動脈硬化の一因である酸化変性リポタンパクの生成を反映しました。また、痴呆症では赤血球膜への酸化物の蓄積が特徴的で、このような赤血球ではヘモグロビンから酸素が解離しない可能性が考えられました。
 ボストンにこの装置を持参して計ったアルツハイマー脳では、エタノールアミンリン脂質の過酸化が特徴的に見出され、私たちが神経細胞死を抑制する機能を発見したプラズマローゲンリン脂質は顕著に減少していました。さらに、C型肝炎ウイルスのコアタンパクを強発現させたトランスジェニック動物では、加齢とともに肝細胞ミトコンドリア膜の過酸化の著しい亢進が認められました。したがって、食べ物からビタミンE、C、カロテノイドなど抗酸化成分を摂ることが考えられますが、それだけでは十分に予防できないのも事実なのです。
 何より面白かったのは、健康なヒトの血液には過酸化物は存在しないというのが常識でしたが、実際は低濃度ですが必ず存在することを確認できたことでした。最近では、過酸化脂質やその誘導体に、リンパ球、血小板、白血球などを活性化し、細胞の増殖、遊走、接着を誘導促進する働きのあることがわかってきています。
 また、海草に含まれている高度に共役化した脂肪酸は、癌細胞に選択的な細胞死をもたらすことを見出しましたが、その機構は膜リン脂質過酸化を介した「死のシグナル」経路によるものでした。このように、膜脂質の過酸化には善悪両面の働きがあります。
 食べ物の健康機能性は重要ですが、その機能解析には「くすり」と異なる難しさがあります。日々、何げなく摂っている食品成分の健康増進への関与を、一層明確にしていきたいものです。なお、これらの研究のいくつかは、東北大学の医学部、工学部、電気通信研究所の先生たちとの共同で進めました。当面は、美味しいバランスのとれた食事をし、楽しく運動をして、十分な睡眠をとる、これに尽きるようです。


みやざわ てるお

1950年生まれ
現職:東北大学大学院 農学研究科 機能分子解析学 教授
専門:食糧化学、食品学
関連ホームページ
http://www.agri.tohoku.ac.jp/kinoubunshi/index-j.html

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